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【京都市】東山区 京都人によく知られる三条京阪の『高山彦九郎』像は、江戸時代後期の武士、尊皇思想家!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

高山彦九郎 (1747~93)という人を知っているでしょうか?

京都に住んでいる人、または京都を好きな人にはよく使われる待ち合わせ場所の一つ『高山彦九郎』像前。地元では、「土下座像」で待ち合わせ〜とよく言っています。

私も学生時代からよくこちらで待ち合わせしていました。高山彦九郎という人をよく知らないまま時間がたって今では当たり前のように前を通っていますが、実際にはどういう人だったのでしょうか?

高山彦九郎は上野国(現群馬県)出身の尊王家で蒲生君平・林子平とともに寛政の三畸人と称されました。

吉田松陰など幕末の志士に影響を与えた人です。

日本を歴遊し勤王を説いたのちに、筑後国(現福岡県)久留米で自殺しました。

京都に遊説した時に、三条大橋からはるかに御所を伏し拝み,皇室の衰微を嘆いたという逸話があることに基づいた像だと聞きました。

確かに、京都御所の方を向いて土下座しています。実際は、京都御所に向かって「望拝」している姿なのです。

寛政三年三月十五日
恐れみ畏れみ恪み謹みて
よめる  正之
われをわれとしろしめすぞや
皇*の玉のみこへ**のかゝる嬉しさ

光格天皇の拝謁を賜った時の感激を詠んだもので、戦時中に編纂された「愛国百人一首」にも採られた有名な一首だそうです。

日本映画やテレビドラマなどで「高津商会」の小道具たちが大活躍している中には、幕末の作品もたくさんあります。

この像は実は二代目だと教わりました。最初の像は1928年に作られましたが、世界大戦時の1944年に金属回収令によって供出されてしまったそう。戦後に改めて再建立されたそうです。

今度、高山彦九郎の皇居望拝之趾を通るとき、少し足を止めて私も京都御所の方を見てみようかと思います♪

高山彦九郎 銅像
場所;京都府京都市東山区大橋町(三条大橋東詰)
建立年;1944年
建立者,;高山彦九郎先生銅像趾跡記念建碑会

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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