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【日本史】「天下もち、座りしままに食うは家康」徳川の世を皮肉った絵師は、罰を承知でなぜ批判したのか?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食ふは徳川」

戦国時代の天下取りレースを、7・5調でこのように表現した言葉があります。非常に有名な表現であり、どこかしらで耳にされた方も少なくないと思います。

しかし表現をそのまま受け取れば、どうでしょうか。歴史に詳しい方や、たとえば去年の大河ドラマ“どうする家康”のファンであった方などは「そんなに簡単だったわけがあるか」と、お怒りになるかも知れません。

信長とともに躍進したことや、豊臣政権の間に足元を固め、秀吉の亡きあと躍り出たのはたしかに事実の流れです。しかし武田信玄への大敗や、本能寺の情勢急変、関ケ原の戦いも当日まで勝敗は分からず、実際はいくつもの死線をくぐりぬけています。

その他もどれだけの苦難を超え、天下統一に至ったかに想いを馳せれば“棚からぼた餅”のようにたどり着いたとは、とても思えない方も多いのではないでしょうか。

しかし、この表現は現代の創作ではなく、むしろ徳川家の威光が絶対であった江戸時代に、作られました。そして、1人の絵師によって幕府に叩きつけられたのです。

徳川家に逆らうとどうなる?

ところで戦乱の世を終わらせ太平の世を築いた徳川家は、今の世にも多くの人々に親しまれています。当時も、心から尊敬の念を抱いていた人は少なくないと思われますが、その秩序を乱す者に対しては、容赦しない一面もありました。

たとえば今の長野県と岐阜県にまたがる“木曽”は、木材で有名な地域です。周辺は江戸時代になると、徳川御三家(尾張藩)の管轄となりました。そして“指定の木材を勝手に採ってはならない”という法令が作られます。

しかし権右衛門という地元の農民がこれに違反したとして、捕らえられてしまいました。協議の結果、彼は宿場町を引き回しの上、斬首されてさらし首に。妻や子は追放の処分となりました。(南木曽町『村誌王瀧』の記録より)

地域や状況にもよるので一概には言えませんが、裁く側の判断によっては、最悪このような極刑を課された事例も存在するのです。

そうした江戸時代にあって、ときは1849年。歌川芳虎(うたがわ・よしとら) という絵師が、お餅つきの風刺画を出版。タイトルや書いてある文字自体には「武者たちが、春のお餅をついていますよ」としか言及されていませんが、何を表現しているかは絵を見れば明らかでした。

とうぜん幕府の怒りを買い、当時の印刷の元であった版木は焼き捨てられ、本人も捕らえられてしまいました。なお「織田がつき 羽柴がこねし・・」の歌自体は、誰が書いたのかは不明と言われています。

表現者としての誇り

その後、歌川芳虎は両手に鎖をつけられ、その状態で“自宅謹慎50日”という刑罰を受けました。しかし、そのような目にあっても物価高騰の風刺画を描くなど、彼は権力に屈しませんでした。

現代のように表現の自由は許されず、“お上”に逆らう行為がはるかに恐ろしかった当時、なぜ彼はそこまでして反骨精神を貫いたのでしょうか。


“お餅つき”の風刺画を出した当時、幕府は“贅沢は禁止”“風紀を取り締まる”として、表現を厳しく制限していました。性的な“春画”などはもってのほか、今でいうアイドル写真に当たる“美人画”や“役者絵”さえも、自由に描けなくなってしまいました(天保の改革)

いかに民衆を楽しませるか。そこに情熱を注いでいた絵師たちにとっては、大幅に締めつけられたも同然です。ちなみにこの施策は絵だけでなく、服や人形や飾り物などを売るお店が「贅沢である」と見なされ、没収や処罰を受けたこともありました。

また落語や歌舞伎などの娯楽も、制限や禁止を受けるなど徹底。不満を募らせる庶民が大勢いたことは、想像に難くありません。

そうしたなか、いかにもマジメな“武者絵”に見せかけ、痛烈な皮肉を投げかけた歌川芳虎の風刺画。表立っては言えずとも、じつは裏で喝采していた人々も、少なくなかったかも知れません。

江戸時代はディストピア?

江戸時代は上記以外にも、さまざまな禁止令が折に触れて出されました。しかし、人々はただ押さえつけられるだけでなく、ときに巧みな知恵をもってかわし続けてきた歴史があります。

「大名行列が通る道の建物は、2階を作ってはならぬ(見下ろせる位置のため)」と言われれば、窓に格子をつけ「これは屋根裏部屋です」と主張する商店。

「派手な服は禁止する」と言われれば、いっけん地味に見えるものの、裏地が派手な服を開発。むしろそれがチラリと見えるのが“粋”という楽しみ方も登場しました。

太平の世は戦乱こそほとんどありませんが、戸籍を幕府に管理され、誰かが罪を犯せば連帯責任といった制度もありました。(五人組)

例外はありますが士農工商で身分は決められ、今のように海外旅行にも行けず、“お上”は「あれはダメ、これはダメ」などと取り締まってきます。

見方によっては、生きていて何ともつまらない“ディストピア”にも思え、もちろん実際にそう感じていた人はいたかも知れません。

※歌川国貞・作「今四天王大山帰り」
※歌川国貞・作「今四天王大山帰り」

しかし当時の絵などを見ると、洗練されたセンスにあふれ出るエネルギー。「むしろ楽しそう」とさえ思えることもあります。2025年の大河ドラマ『べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜』も、その辺りの話もクローズアップされそうな物語で、今から楽しみな内容です。

いずれにしても、ただ置かれた状況を嘆くのではなく、自分達の知恵や発想で「面白くしてしまおう」という精神は、現代の私たちにも大切な気づきがあるかも知れません。


歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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