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”リンサニティ”とは何だったのか 〜台湾系NBA選手の快進撃から1年

杉浦大介スポーツライター
(写真:ロイター/アフロ)

静かな帰還

 2013年2月22日ーーー。“リンサニティ”と呼ばれる一大センセーションの開始、終焉から約1年が過ぎて、ジェレミー・リンはヒューストン・ロケッツの一員としてニューヨークに戻って来た。

 とは言っても、この日の会場はニックス時代に本拠地としたマディソンスクウェア・ガーデンではない。舞台となったのは、新たにブルックリン・ネッツのホームアリーナとしてオープンしたバークレイズセンター。

 アジア系を中心にファンからは両チームを通じて最大の歓声を浴び、試合後には多くのメディアからも囲まれたが、それでも去年の今ごろの天と地を引っくり返したような騒ぎとは比べるべくもない。

 「1年前と今ではまったく違う。異なるシステム、役割でプレーしているからね。素晴らしいプレーメーカーであるジェームス・ハーデンとどう共存して行くかが今季のポイント。自分とチームの現状には満足しているよ」

 オフにFAでロケッツに移籍したリンは、今季ここまで平均32.8分にプレーして、12.7得点、6.2アシスト、1.90スティール。実働2年目と考えれば及第点と言って良い成績だが、昨季の台頭直後のようなインパクトはない。依然としてロケッツ内では最も世界的な知名度の高い選手ではあるが、その喧噪はニューヨーク時代とは比較にもならない。

 “リンサニティ”は、もう終わったのだ。

ニューヨークを震撼させた快進撃

 今思い返して見ても、1年前のリンの快進撃は爆発的で、驚異的で、そしてドラマチックだった。

 解雇される寸前だった控え選手が、2月4日のニュージャージー・ネッツ戦で途中出場ながら25得点を挙げてニックスを勝利に導く。2日後のユタ・ジャズ戦では初先発し、28得点。この急上昇は、2月10日のロスアンジェルス・レイカーズ戦で頂点に達した。

 名門対決ということで注目された一戦で、リンはなんとコービー・ブライアントの34点を上回る38得点をマーク。軽々とジャンプシュートを沈め続け、試合後、「これほどのプレーができる選手が突然に現れることなんてあり得ないはずだ」と語ったコービーの呆れたような表情も印象的だった。

 2月14日のトロント・ラプターズ戦では終了間際に決勝ジャンパーも決めたリンは、4日以降の7試合中6戦、10戦中9戦で20得点以上をマーク。同時に4日まで8勝15敗と低迷していたニックスを、まさかの7連勝に導いた。

写真:ロイター/アフロ

 NBAではすでに2チームから解雇されていたロースター内15番目の選手が、瞬く間に低迷する名門フランチャイズの主力選手に変貌。ハーバード大出身のアジア系(台湾系アメリカ人)というバックグラウンドの面白さもあって、上昇の過程でニューヨークを揺るがすほどの騒ぎが勃発する。グッズ売り上げは記録的な数字となり、老舗のスポーツ・イラストレイテッド誌に2週連続で表紙に起用される異常事態になった。

 ほとんど一夜のうちに、リンは“ニックスの救世主”、“ニューヨークの新スター”、“アイビーリーグの星”、“アジアの英雄”、そして“現代のおとぎ話の主人公”に就任。ファン、メディアも、現実にはあり得ない映画のようなストーリーに驚愕させられたのだ。

”リンサニティ”の真実とは

 「率直に言って、リンは中堅〜弱小チームでなら先発PGが務まりますが、強豪チームでは控えの役割が適切な選手なのだろうと私は思っています」

 あれから1年が過ぎ、長くリンを見て来た台湾人記者はロケッツの一員となったリンをそう評する。

 少々厳しい見方にも思えるが、今季の成績を見る限り、その言葉を否定するのは難しい。少なくとも、ターンオーバーの多さ、ジャンパーの不安定さ(昨季も3ポイント成功率は32.2%に過ぎなかった)など、まだ多くの課題がある選手であることは確かなのだろう。

 「リンはホームラン(ビッグプレー)を狙いがち。9ターンオーバーを犯しても、29得点を挙げれば満足なようなプレーをすることがある。そんなときは、“ジェレミー、私たちは勝たなければいけないんだ”と告げるようにしているんだ」

 ネッツ戦でブルックリンを訪れた際には、ロケッツのケビン・マクヘイルHCもそんな少々辛辣な指摘をしていたものだった。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 しかし、リンがまだそれほどに荒削りで発展途上だとすれば、昨季の“リンサニティ”はなぜ可能になったのか・・・・・・?

 「リンはもともと得点力のあるガードであり、PGに多くの自由を与えるマイク・ダントー二HCとの相性は最高でした。同じくボール保持型のカーメロ・アンソニーが、(リンの先発入り以降しばらくは)故障離脱していたことも大きかった。様々な偶然が、絶好のタイミングで重なった上で起こった出来事だったのではないでしょうか」

 前記した台湾人記者はそう語る。付け加えれば、当時はまだリーグ内でリンに対するスカウティングレポートが欠如していたこと、そして恐らくはリン本人が未曾有の絶好調期間に突入したことも爆発の要素として挙げられるのだろう。

 スコアラーとしてのポテンシャル、指揮官の好む戦術との相性、チーム内のエース級選手の負傷離脱、本人の調子・・・・・・本当に多くの出来事がポジティブに作用した上で生まれたファンタジーのような時間。そこにユニークな経歴とニューヨークという舞台が掛け合わされ、騒ぎは尋常でないほどに大きくなっていった。

 賢明なリン本人も、実は昨年2月14日のラプターズ戦前に真実を早くも言い当てたようなコメントを残していた。

 「僕自身のこれまでの軌跡を振り返れば、神の手が関わっていたとしか思えない。“偶然”と呼びたがる人もいるのかもしれないけど、20~30ものことが正しいタイミングで起こらなければ、こんなことにはならなかったはず。だから、僕はこれは奇跡だと思っているんだ」

現代のおとぎ話

 スカウティングの充実とインターネットの普及などによって、現在は”知られざる怪物”などほとんど生まれ得ない時代である。

 ”無名選手の快進撃”などあり得ない。奇跡など存在しない。70本ものホームランを打つ選手が現れたと思えば、その背後には禁止薬物の力があったりする。スポーツ界で起こるすべての出来事は、深く掘り返してみればすべて理屈で説明がつく。

 しかし、そんな現代に突如として生まれた正真正銘のおとぎ話が、少なくとも当時はそう思えたストーリーが、リンが主役を務めた“リンサニティ”だった。

 「ニューヨークが僕にとって特別な場所であることに変わりはない。熱狂的なファンのことを懐かしく思う。マディソンスクウェア・ガーデンのファンはクレイジーだったし、素晴らしい経験だった」

 リンのそんな言葉は、あの時期に“ザ・ガーデン”で空間をシェアしたすべての人間に共通する想いでもあるのだろう。

 小柄なアジア系選手の放つジャンプショットが決まるたびに、そこに居合わせた私たちは顔を見合わせ、ため息をつき合った。幾つもの要素が重なり合った上で生まれたストーリーは、リンが言う通り、紛れもない奇跡だった。

 ミラクルはやがて終わり、リンは現実の世界に戻って行った。ロケッツへの移籍は、真実の戦いの始まり。これから先、NBAで長くプレーするPGになれるかどうか、リンは再び真価を証明していかなければならない。

写真:ロイター/アフロ

 「今季ここまでで自分の可能性は誇示して来れたと思うけど、まだやるべきことは沢山ある。ボールを持たない時間帯にも貢献出来るようになってきたと思うけど、もっと安定した形でそれができることを示さないとね」

 それが可能なのかどうかは分からないが、1つだけ確かなことがある。今後の彼のキャリアがどう推移しようと、2012年2月をニューヨークで過ごしたすべてのスポーツファンは、リンがもたらしてくれた日々を決して忘れはしないということ。

 結局のところ、いつかあんな風に予想もできないシーンに巡り会いたいがために、人々は高いお金を払い、多くの時間を割いてスポーツを観る。現代は奇跡が簡単には起こり得ない時代であるがゆえに、”リンサニティ”の興奮は、なおさら特別な意味を持って私たちの胸に蘇ってくるのである。

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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