Yahoo!ニュース

メッシを世に送り出した「自由なる」名将。煙草の香り

小宮良之スポーツライター・小説家
メッシに言葉をかけるライカールト監督(写真:Action Images/アフロ)

 約束していたインタビューの時刻になっても、フランク・ライカールト監督は現れなかった。しばらくすれば練習が始まり、インタビューの時間が削られるかもしれない。監督室の時計は、時を刻んでいた。

 ようやく到着したライカールト監督だが、悪びれもしない。ゆっくりと、煙草をくゆらした。現役時代からヘビースモーカーだ。

「時間? 練習はコーチが見るから大丈夫だ。何も心配するな。聞きたいことを聞けばいい」

 ライカールトは鷹揚に言った。そして練習を、コーチに任せた。リーダーは、慌てて狼狽えたりしない。泰然とした姿は、なんとも頼もしかった。聞き手の焦りや不安は、ライカールトという磁場によって解消されていた。親分肌の真骨頂だ。

 当時、FCバルセロナでリオネル・メッシを送り出し、アンドレス・イニエスタをトップに定着させたオランダ人指揮官は、絶大なカリスマを誇っていた。そのパーソナリティが、ロナウジーニョを中心とした“自由なバルサの攻撃芸術”を爆発させたのである。2005年11月、サンティアゴ・ベルナベウでロナウジーニョがゴールを決めたシーンでは、仇敵からスタンディングオーベーションが送られた。彼が拵えたスペクタクルは「人間味」という点で、ヨハン・クライフ、ジョゼップ・グアルディオラが成し遂げた戦い以上とも言われるが、それは誇張ではない。

 2014年3月、51歳で監督引退を発表した名将の真実とは――。

フットボールは選手のもの

「フットボールは選手のものだ」

 ライカールト監督は淡々と言った。

「マジックボードで誰がどこのスペースを担当するかを叩き込み、組織されたチームを作り出せば、60~70%の試合は勝ったと言える。だからこそ監督はピッチの各所に攻撃すべき選手、守れる選手を整然と配置しなければならない。けれど、戦術で勝ったと考えるべきではないだろう。フットボールにおいてタレントに優るものはない。彼らがチームの一員として、どんな時も、状況に応じて力を発揮できるように促すのが、監督の仕事だ」

 “選手ありき”に根差した勝負哲学は深みがあった。

 80年代から90年代にかけ、ライカールトは選手としてアヤックス、ACミランでいくつものトロフィーを掲げている。オランダリーグ優勝5回、セリエA優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝3回、インターコンチネンタルカップ優勝2回・・・。オランダ代表としてもEURO88で優勝を経験している。

 リヌス・ミケルス、レオ・ベンハッカー、ヨハン・クライフ、アリゴ・サッキ、ルイス・ファンハール、名だたる名将たちが、彼を指導し、目を瞠り、最後には「ピッチ上の監督」として認めた。

 ポリバレントというレベルではない。ストッパー、リベロ、サイドバック、ボランチ、攻撃的MF、サイドハーフ、FW、どのポジションでも最高水準のプレーを披露した。センスの塊。巨躯に宿したパワーとスピードは一つの武器だったが、フットボールIQの高さが選手としての彼を支えたのだ。

クライフとも衝突

 ライカールトは選手としての自尊心が高かっただけに、時に監督とも衝突した。アヤックス時代、20代前半の頃の話だ。彼はヨハン・クライフ監督を相手に真っ向から意見で対立。そりが合わないと感じるや、チームを出奔。周囲から神のように崇められていたクライフに逆らっても、意地を貫き通した。

<ピッチでプレーするのは選手>

 それはサッカー人として揺るがぬ、彼の原点である。

「選手個人のタレントこそが、チームのベースになるべきだという思いは変わらない。個人の可能性は、マジックボードの中では推し量れないものさ。私は意外性にこそ、フットボールの楽しさを感じるし、このスポーツの本質はあると思っている。選手が私の戦略を超えたときは本当に嬉しくなる」

 ライカールトは煙草をもみ消しながら、次の一本を取り出し、再び火をつけた。

「最近は、みんながシステムを論じている。それは大事だよ。でも、システムそのものが大事なのではない。手持ちの選手に合うシステムを見つけるのが大事なんだよ。なにより、在籍する選手の能力やキャラクターが優先。フットボールは刻一刻と動きのあるスポーツで、用意した一つのモデルでは戦い抜けない。選手がピッチで応用するんだ」

 徹底した“選手ありき”だった。2005-06シーズンには2年連続でリーガエスパニョーラを制し、UEFAチャンピオンズリーグで優勝した。

寛容さの陥穽

 しかし寛容さには、陥穽もあった。

 ライカールトは誰よりも選手心理を察し、理解を示す。そこに甘さが生まれた。バルサの象徴だったロナウジーニョが栄光に溺れ、夜遊びに耽り、朝のトレーニングで遅刻を繰り返しても、それを見過ごした。マスコミが糾弾し、チームメイトたちが難色を示しても、彼は「いつかは立ち直る」とブラジル人ファンタジスタをかばった。

 チームの風紀は乱れ、全体の指揮が緩み、いつしか空中分解した。

 ライカールトが事実上の解任通告を受けたのは、欧州王者に輝いてから2シーズン後のことである。当時の地元マスコミは、「ライカールトは選手の創造性を引き出し、それが結果につながったが、規律を植え付けられるず、限界を露呈した」と功罪を括った。しかし不完全だったからこそ、人々の記憶に残っているのだ。

善良な選手だけでチームを作れるか?

「能力の高い選手は、たいてい複雑な性格の持ち主だよ。そういう選手こそ、チームに必要とされる。善良さは悪いことではないが、必須ではない」

 ライカールトはそう言って、うまそうに白い煙を吐き出した。

「監督は善良な選手を探し、チームを作るべきではない。いろんな性格の持ち主を融合させることだ。一人はリーダーシップを発揮し、一人は寡黙で従順で、一人は反発心があり、一人は芸術を極める。個性の集まりにダイナミズムを与え、集団にまとめるのが監督の役目さ。だから、指導者は選手個人の振る舞いに気を配る。練習中、みんなむすっとは良くないが、全員が笑っているのも良くない兆候さ」

 ライカールトは選手を枠にはめず、その個性を引き出した。慧眼があったのだろう。メッシ、ロナウジーニョを共存させ、才能をスパークさせたのだ。

「これからは、フットボールのファンとして試合を楽しむことにする」

 彼はそう言って監督としての幕を引いて、伝説は残った。煙草の香りを、そこに漂わせて。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

小宮良之の最近の記事