選挙に無関心な若者に向き合わなければならない
「わかるよ、そのとおり!」と言いたい反面、「でも、もうちょっと考えようよ」と言いたくなってしまう。
選挙権が18歳以上とされて最初の国政選挙を7月に控えて、『毎日新聞』が20歳未満の男女50人ずつの計100人に取材した結果を6月22日付の紙面で報じている。継続取材で今回は2回目ということだが、テーマは「野党共闘」である。
野党共闘について三者択一で尋ねたところ、「賛成」と答えたのは28人、反対は18人だった。そして、もっとも多かったのは、「その他」の46人だったという。
この「その他」と答えた人には、「最近の政治家は汚職など問題が目立ち、信頼できないので、何をしようと変わらない」といった諦めの意見が散見されたそうだ。「分からない」「関心がない」という答えも20人あまりもあったという。
辞職した都知事の公私混同といいい、政治家の汚職は、たしかに目に余るものがある。若い人たちが、政治に失望するのも無理はない、というより当然だともおもえる。
しかし、だからといって、政治に関心をもたなくてもいい、投票なんて行く必要がない、と判断してしまうのは、「ちょっと待って!」と言わなくてはならない。政治に関心がない、投票に行かない、ということが汚職政治家をのさばらせる原因になっていることを、もっと若い人に知ってもらう必要があるのではないだろうか。
選挙は、適任者を選ぶという目的もあるが、もうひとつには「不適任者を排除する」という意味ある。不適任者の対抗馬、それが理想の政治家ではなかったとしても、そこに一票を投じることで、不適任者を落選させ、汚職をさせないことにはつながる。
さらに、有権者の目が厳しいとなれば、政治家だって汚職なんてやってられなくなるだろう。むしろ、厳しい目の有権者を意識させることに選挙の意義がある、といってもいい。
「一票を投じる価値のある政治家はいない」と若者に言われて、「そうだよね。選挙なんて行く気にならないよね」なんて人気投票的な考えを肯定していては、とても大人とはいえない。選挙の可能性を追求し、それを伝えていく努力こそが必要な気がする。ただ「選挙に行きましょう」などと義務意識を煽るのではなく、選挙の意味をいっしょになって考える姿勢こそが、いま問われているのではないだろうか。