本屋大賞に納得。DV、ネグレクト、貧困。殺人容疑者となった「湿地の娘」はあらゆる問題と闘ってきた。
えっ、ザリガニって鳴くの?
タイトルを初めて見たときに、多くの人がこんな反応をしたのでは?
2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝いた同名小説が原作の『ザリガニが鳴くところ』は、ザリガニも生息する豊かな湿地帯が舞台のミステリー。
1969年、ノースカロライナ。町はずれの湿地帯で、裕福な家庭に育った青年チェイス(ハリス・ディキンソン)の変死体が発見される。
殺人の容疑者として逮捕されたのは、幼くして家族に捨てられ、湿地で懸命に生きてきたカイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)。彼女の身を案ずる弁護士ミルトン(デヴィッド・ストラザーン)は、事件現場にいたことにして司法取引をするように勧めるが、カイアは自分の人生を守るために法廷で闘うことを選ぶ。
なぜ、彼女は一人で生きることになったのか。過酷な現実をどう生き抜いてきたのか。明かされていく半生は、本作が遺体発見を発端とするミステリーだということを忘れてしまうほど濃厚。
威圧的で暴力的な父親。そんな父親から逃れるために次々と家を出ていく母親や姉兄たち。幼いながらも懸命に生きようとするカイアを気にかけてくれる人々もいるものの、貧困のなか、世話をしてくれる親もいないカイアは、教育を受ける機会さえも逃してしまう。それは、DV、ネグレクト、貧困など、現代にも通じる問題が詰まったヒューマンストーリーだ。
愛する湿地の豊かな自然から、生活の糧を得るだけではなく、生きるための知恵も学んできた彼女が、やがて恋を知り、読み書きを学び、可能性の扉を開こうとする。その姿には、事件の真相を探ることなど忘れてしまいそうになるほど。
湿地が舞台ということで、勝手に想像していたおどろおどろしい世界とは大違いの、自分の力で生き抜くことを決めた1人の女性の強さに胸を打たれずにいられない世界が広がっていく。
しかし、陪審員を務めるのは、カイアという人間をよく知りもせず、無責任な噂話で彼女を「湿地の娘」と呼び、蔑んできた人々。そうした差別意識や偏見も含め、社会の問題を映し出して、たんなる事件ものでは終わらないどころか、結果、ミステリーとしての余韻をさらに深いものにする。
いやあ、やっぱり、本屋大賞第1位の原作は伊達じゃない。
そもそも、動物学者ディーリア・オーエンズによる原作小説は、2019年と2020年の2年連続、アメリカで最も売れた本とされるが、ベストセラーのきっかけとなったのは、本作のプロデューサーを務めるリース・ウィザースプーンが立ち上げたブッククラブの課題図書に選ばれたこと。
リースが、メディアにおける女性の描かれ方を変えるために、製作会社ハロー・サンシャインを設立したことを思えば、この作品が社会の問題の数々を見つめていることも頷ける。
空の青さ。水辺の緑の鮮やかさ。カイアが愛する湿地帯の美しさに、心を洗われるという映画ならではの醍醐味もたっぷり。
さらに、チェイス役のハリス・ディキンソンが、何不自由なく育った青年の高慢さと独善の奥に、彼が抱える孤独をのぞかせる好演。『キングスマン:ファースト・エージェント』で演じた、正義感に溢れる若き紳士コンラッド・オックスフォードとは一転、一人で生きてきたからこそ孤独を恐れるようになったカイアの人生に入りこむ存在として、彼女がチェイスに対して抱くさまざまな感情に共感させてくれる。
写真提供:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
『ザリガニの鳴くところ』
監督/オリヴィア・ニューマン 製作/リース・ウィザースプーン、ローレン・ノイスタッター オリジナル・ソング/テイラー・スウィフト『キャロライナ』
全国公開中