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“億”の借金で自らが創設したレバンガ北海道を買い戻した折茂武彦 彼がいま語る「責任と覚悟」

大島和人スポーツライター
折茂武彦はレバンガ北海道の社長を務めつつ2019−20シーズンまで現役選手だった(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

27年の現役生活と12年の経営歴

日本のバスケットボール界に、これほど“レジェンド”という表現が似合う人材は他にいない。折茂武彦は国内トップリーグ日本出身選手として史上初の通算1万得点を達成し、オールスターで通算9度のMVPに輝いている。2020年春に49歳で引退するまで、27シーズンにおよぶトップリーグのキャリアを全うした。

 

ただし折茂の“レジェンド”たる由縁は、むしろプレーヤーの実績と離れた部分にある。彼は現役生活と並行して「レバンガ北海道」を立ち上げ、成長させた創業経営者だ。

 

2011年に折茂が所属していた北海道のプロチームは、リーグに対する会費の未納、虚偽の決算報告を理由に除名され、消滅の瀬戸際に追い込まれていた。中心選手だった折茂は自ら新法人を立ち上げ、北海道の地にプロバスケの灯火を残した。

折茂社長が「オーナー」に

発足直後は黒字化の目処が立たず、資金繰りに追われた厳しい時期もあった。しかし2016年秋のBリーグ開幕という追い風もあり、現在は6期連続の黒字経営に成功している。1試合平均の観客数も、コロナ前の2019−20シーズンには、3,764人を記録した。これはB1全体の3位に相当する優秀な数字だ。

 

一方でレバンガはBリーグ発足の直後、債務超過を解消するために新たなオーナーを迎えていた。それが札幌市内に本社を置き「イーグル」のブランドで知られる正栄プロジェクト。折茂はいわば“雇われ社長”の立場で、クラブ経営に関わっていた。

 

引退して経営に専念できるようになった折茂は、新たな挑戦に踏み出した。彼は自ら「億単位」の借金を背負い、クラブの株式を買い戻してオーナー社長の座に就いている。今回はそんなレジェンドが単独インタビューに応じ、大きなリスクを背負う覚悟と狙いを語った。

債務超過解消がレバンガの転機に

折茂はBリーグ発足後の飛躍を支えた“債務超過解消”をこう振り返る。

 

「非常に大きな債務超過があり、そこを解消しなければB1にいられないとBリーグに言われていました。レバンガ発足の当初からイーグルグループさんから借り入れがあって、それが債務超過の原因でした。債務を株式に転換するデット・エクイティスワップ(DES)の手法を用いて、イーグルグループが70%超の筆頭株主になったんです。買い戻しますという前提で、DESを実行してもらっていました。B1に残れたのは、我々にとって大きな転換点です」

 

コロナ禍という試練こそあったが、その後の経営は順調に推移している。Bリーグ開幕前には100社ほどだったスポンサー企業が、今は400社まで増えた。2014年度には6000万ほどだったパートナー収入が、2022年6月期の決算では5億に届いている。オーナーシップ、スポンサー収入の両面でイーグルグループに依存していた経営が、北海道全体から広く支えられた状態に転じつつある。

大企業の傘下入りは選択せず

ただしB1の他クラブも経営的な拡大を続けている。加えて2026年にはアリーナ、売上、観客動員数といったハードルが今までより上がる“新B1”がスタートする予定だ。新アリーナの建設、経営規模拡大に向けて現状維持では展望が開けない――。それもまたレバンガの置かれた厳しい現実だった。

 

「新B1が2026年からスタートするわけですけど、売上を現時点から増やさなければいけません。昨シーズンはコロナの影響があって動員が落ちてしまっていますが、ここも(1試合平均の観客数)4000人以上という基準が設定されています。そしてアリーナ問題があります。僕がオーナーシップを握ることは、飛躍に向けて覚悟を示すいい機会です」

 

6月にセガサミーホールディングスによる買収が発表されたサンロッカーズ渋谷の例を見れば分かるように、Bリーグは大資本の参入が相次いでいる。「個人オーナーによる買収」はBリーグのトレンドに反する資本政策かもしれない。しかしレバンガは良くも悪くも他クラブとは辿ってきた歴史が違う。ここは折茂が自らプレーし、人生を懸けて立ち上げたクラブだ。

 

「各クラブがM&Aをして、大きな資本を入れてチーム強化や新B1問題への対応を進めています。我々もそういった形を含めて検討はしましたが、やはり他のクラブと我々のクラブは歩んできた道が違います。我々は一度消滅してしまって、北海道の方々の支援のおかげで復活して、ここまでやってきたクラブです。逃げるつもりはないですけど、僕自身が外れる形で大企業にお任せして、皆さんに更なる応援をお願いできるのかな?という不安もあります。将来どうなるかは分からないですけど、その先にはそういうこと(大企業による買収)を見据える時期が来るのかもしれません。でも『今ではない』という考えです」

融資を受けて株を買い取る

前オーナーの協力と同意を得て、株の移動はスムーズに進んだ。

 

「(イーグルグループの)美山正広社長も『株を自分たちのものにする』という考えでなく、黒衣(くろこ)として、レバンガ北海道がしっかりしたものになるように支えていく姿勢でずっと進めていただいていました。最終的にはそれが一番だよね……ということで僕の方に株を戻していただきました」

 

かくして21年12月、水面下で折茂を中心とした経営陣によるマネジメントバイアウト(MBO/経営陣による自社の株式買収)が実行されていた。当然ながら株の買取には資金が必要で、株式会社レバンガ北海道の資本金は資本準備金合わせて3億円。買取価格は公表されていないが、簿価から大きく外れてはいないだろう。折茂は今回の取引で「億単位」の借金を負った。

 

折茂は必要な資金を金融機関からの融資で調達した。億単位の借り入れは庶民にとって想像のつかない重荷だし、レバンガの経営が順調に推移する保証もない。ただし篤志家の“男気”に頼らずとも「ビジネスベースで借りられるようになった」ことは現在のレバンガと折茂の信用があるからだ。

 

「立ち上げ当初はほぼスポンサーもなく、そもそも売上がなかったわけです。チーム人件費や遠征費、社員の給与を含めて、まずどう捻出をするかを考えなければいけなかった。信用もなかったから、銀行からの借り入れもできませんでした。今も別に安心できるというのでなく、普通になれたのかなというふうに思います。ただ社員は30名以上になりましたし、しっかりとした組織に近づいてきた印象が自分にはあります」

折茂武彦はオーナー経営者としてレバンガの舵取りを担う  (c)LEVANGA HOKKAIDO
折茂武彦はオーナー経営者としてレバンガの舵取りを担う (c)LEVANGA HOKKAIDO

M&A仲介企業のサポートも

折茂らによるMBOに当たってアドバイザーを務め経営計画の策定、資金調達などをサポートしたのが「ストライク社」だ。1997年に公認会計士の荒井邦彦が創業したM&A仲介を主業とする企業だ。

 

彼らは様々な業種のM&Aを手掛けているが、プロスポーツに初めて関わったのは2017年、プロレス団体DDTが大手広告会社に株式を譲渡した案件だ。Bリーグでも複数クラブのM&A仲介を手掛けている。

 

「身売り」という下品な表現が示すように、過去にはプロ野球やJリーグのオーナー交代、株式譲渡はネガティブに受け止められることが多かった。しかしプロ野球はソフトバンクや楽天、DeNAといった新興勢力の参入によって盛り上がり、JリーグやBリーグも“前向きなオーナー交代”が増えている。プロスポーツはバブル後の日本における希少な成長産業で、M&Aも活気づいている。ストライク社は黒衣として、この動きを支えてきた。

 

もっともBリーグのクラブは完全な「中小企業」で、仲介手数料の額は決して大きくない。一方で取引への関与には、金額だけでは測れないプラスアルファがある。ストライクの荒井邦彦社長はこう述べる。

 

「我々としてシンボリックな取引になります。レバンガさんの取引に関わったとなれば、少なくともバスケファンや、北海道の方はストライクという会社を認知してくださる。我々が地域、スポーツ産業の発展に貢献していると知ってもらう発信材料としては有り難いなと思っています」

融資がスムーズに進んだ理由は?

M&Aをスムーズに進める上で、プロのサポートにどういう効果があったのか。レバンガの横田陽CEOはこう説明する。

 

「金融機関からの借り入れでは経営計画を立てるサポート、株式譲渡の契約書作成など、全般をサポートいただきました。ストライクさんは元々金融機関さんと深いつながりがありますし、中長期の事業計画や収支計画の精度も高く、(金融機関から)ある程度ご理解いただけました。タッグを組めたことが融資の実行スピードが早まった要因かなと思っています」

 

6シーズン連続の黒字達成という実績があり、今後の成長プランについても金融機関の理解を得られた。ストライク社とレバンガが話し合いを始めたのは21年7月で、9月末には融資の決裁が下りていたという。

 

横田は今回のスキームについてこう口にする。

 

「安定していた経営から、更にドライブをかけるために自立を図る。これは北海道でないと、折茂という圧倒的なブランドがないと、成立しないと思います。レバンガは北海道からチームを無くしてはいけないということで、折茂が自己資金を叩いて立ち上げたクラブです。更に成長していくため、もう一回自分で、ゼロでなく(借金を背負って)マイナスからスタートする――。これは大資本でなく、北海道の皆さんと一緒にこのクラブを成長させていく意思表示です」

安定経営から「日本一」へ

折茂はレバンガの経営的な積み上げについてこう説明する。

 

「22年6月期の売上が約10.7億円です。Bリーグが出来てからのコンセプトは安定経営でした。まずは『あるものでやる』『これしか売上がないならその中でできることをやる』発想で、人件費を抑えていました。(エントリー人数不足で)譴責処分を出されたこともあります。ただおかげさまで単年の黒字化ができて、そこからは手堅く数字を積み上げてきました。上の順位には行けていませんけど、『勝っても負けても楽しんでいただける空間』という土台は積み上げられたなと思っています」

 

その上で、今後の事業戦略についてこう述べる。

 

「僕らは『新B1で日本一を目指す』という目標を立てています。なので(売上の最低基準となる)12億円は特に目指すものではないと捉えていて、最低でも20億だと思っています。ここから20億円を目指すとなると、コート上の強さが必要というのが私の判断です。上位でない今でも安定した集客がある中で、これで勝てれば観客が更に入る可能性は他のクラブより高い。なので今後は選手や環境に投資をしていきます。それによって価値が高まれば、露出も増えて、パートナーのメリットは高まる。そのようなスパイラルを作っていきます」

「責任と覚悟」を持って

新B1は2026年秋にスタートする予定だが、新基準のアリーナ完成は2028年までの猶予が認められている。折茂は新アリーナの構想についてこう述べる。

 

「猶予期間が限られているので、まず2024年のライセンス審査までに確からしさを証明することが必要です。レバンガからの情報が一切ない中で、ファンの皆さんからも『大丈夫なのか?』というお声は聞いています。できるだけ早く、ご安心いただけるような発表はしたいと考えていますが、『しっかり検討はしています』としかお伝えできない状況で本当に申し訳ない」

 

2007年に北海道の新興クラブへ移籍した当時37歳のベテラン選手は、気づくと16度目の秋を札幌で迎えている。日本バスケ、そして北海道のレジェンドである折茂はファンに向けてこう強調する。

 

「今回の資本政策を、ポジティブなものと捉えていただければと有り難いです。僕自身がしっかり責任と覚悟を持って、レバンガをより良いクラブに成長させていく決意です。このクラブを“自分のクラブ”とは思っていません。あくまでも北海道をはじめとする、クラブを応援いただいている皆さんのクラブで、一緒に成長させていく考えも変わりません。道民の皆さんが誇れる、未来に残していけるクラブにできるよう、力を合わせて頑張っていきたいと思っております。企業の皆様には更なるご支援を、ブースターの皆様には会場での応援を引き続きよろしくお願いします」

 

レバンガは過去も今後も“北海道に支えられた”クラブだ。折茂がオーナー経営者になったからと言って、そこは揺らがない。ただしクラブはBリーグの拡大に伴い、新たなハードルを意識する時期を迎えていた。日本バスケのレジェンドは道民の期待を自ら背負い、責任と覚悟を持って “第2の創業”に立ち向かおうとしている。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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