みなもと太郎さんの歴史ギャグマンガ「風雲児たち」の魅力 教科書にはない大切な視点
マンガ家のみなもと太郎さんの逝去が報じられました。代表作は、40年以上描いた歴史マンガ「風雲児たち」でしょう。人間味あふれる多彩なエピソードを軽妙なギャグタッチで表現し、難しい歴史を楽しめるマンガに仕立てました。さらに歴史好きの人々すら驚くほどの、教科書では語られることのない独特の視点が楽しめるのもポイントです。
◇テーマは骨太 ギャグマンガの面白さも
「風雲児たち」のポイントは、テーマの幕末(江戸時代末期)を描くために、わざわざ約260年前の関ヶ原の戦いから丁寧に描いていることです。テーマは骨太で真剣でありながら、ギャグマンガの面白さもあります。このバランス感が持ち味です。
第1話は、関ヶ原の開戦直前のシーンが描かれます。冒頭説明だけでも、作品の味がよく出ています。
……といった具合です。
「分からないことは分からない」というだけでなく、ギャグに落とし込むのです。一度マンガで描いたことで後に新事実が判明すると、キチンと取り上げます。そのときは、みなもとさん自身がマンガのキャラとして登場、弁解しつつもギャグに変換して、読者を楽しませてくれます。
そしてマンガの“武器”を生かし、喜怒哀楽のオーバーアクションなどキャラの激しい動きもあります。連載当時の流行語をキャラがつぶやいてボケるといったフィクション要素も盛り込んでいます。
「歴史は暗記」と勘違いする人もいるのですが、「風雲児たち」を読めば、実はドラマやアニメのような「王道のストーリーもの」であることがクッキリ浮かび上がります。見事というほかありません。
◇関ヶ原から描く必要性とは
幕末を描くのに、わざわざ関ヶ原から描く理由は、コミックスの1巻だけを読むと分かります。討幕の中心となった薩摩藩と長州藩、土佐藩の討幕への動機です。彼らが抱いた「恨み」の深さを丁寧に伝えたかったからでしょう。
そして常に複数の視点から描かれます。権力闘争には両方の側の言い分があるからですね。関ヶ原の戦いも、さまざまな人物からの視点が描かれます。徳川家康と石田三成の思惑を中心に、西軍を裏切った小早川秀秋と吉川広家の目線も描かれます。さらに西軍で奮闘した宇喜多秀家、親友・三成のために戦った大谷吉継、壮絶な退却戦をした島津義弘についても語られます。
その後は、関ヶ原の戦後処理をメインに、天皇家と将軍家の関係、土佐藩の過酷な統治システムを説明。そして「大坂の陣」は大胆に飛ばす一方で、幕府初期の統治について、初代会津藩主で、幕政を担った保科正之の目線から紐解きます。
歴史好きや地元の人でなければ、保科正之は知らないでしょう。ですが彼を重視する理由もハッキリしていて、幕末の会津藩の行動原理を理解できるのです。さらに水戸黄門こと徳川光圀も登場し、幕末の思想に影響を及ぼした「尊王攘夷」の考えにも触れていきます。
漠然と描いているのでなく、すべて幕末へと紐づいているのです。5巻以降も政権担当者や思想家、文化人など複数の視点から時代を照らし、かつ幕末にどう影響を与えたのかを分かりやすく説明していきます。
◇「わいろ政治」を評価?
次は、庶民の文化が花開いた田沼時代を、時代を先取りし過ぎた人たち……という視点で描いていきます。老中の田沼意次(成り上がり者)と、政敵の松平定信(徳川吉宗の孫でエリート)のバトルは必見です。
並行して、蘭学者の平賀源内、医学書の「解体新書」を手掛けた前野良沢や杉田玄白、思想家の林子平らの話が展開されます。オランダ出島の動きや、ロシアに漂着して女帝・エカテリーナ2世に面会した大黒屋光太夫の物語も展開します。国外の動きにも目を配っているのです。
なお教科書などでは、徳川吉宗の「享保の改革」や松平定信の「寛政の改革」を、あたかも善のように書いています。しかし「風雲児たち」では、徳川吉宗の倹約政治の限界を指摘し、松平定信の政治を庶民に対して管理的で時代遅れというニュアンスを強めて、疑問視する流れで描いています。
一方で、「わいろ政治」と言われる田沼意次の統治を「民衆を締め付けない」として評価しているので、賛否両論があるかもしれません。しかし、物事には一つの評価があれば、逆の評価があり、裏表があることを考えさせてくれるのです。教科書ではなかなか教えられない大切な視点で、これこそ本質ではないでしょうか。
なおマンガでは、幕末までを丁寧に描きたい作者と、幕末編に突入させるべく作者にプレッシャーをかける編集者との「対決」も描かれています。その演出もまた、エンタメ性を高めていたように思えます。
◇洪水の恐ろしさも
「風雲児たち」シリーズですが、連載も長期にわたるのでコミックスも相当あります。だから初めての人には、なかなか手が出ないかもしれません。それでもコミックス1巻分程度で雰囲気が分かるとすれば「風雲児たち30巻」の「外伝 宝暦治水伝」でしょう(ワイド版は3・4巻にまたがっています)。
宝暦治水とは、江戸時代中期(元号は宝暦)に幕府の命を受けた薩摩藩(鹿児島県)が木曽三川の工事をしたことです。愛知県と岐阜県、三重県の治水工事を、鹿児島県が全額持ち出しでするような命令で、薩摩藩の財政弱体化が狙いとみられます。
薩摩藩では議論になったものの、日本の民を救うため……と受け入れるのです。ところが工事中に理不尽な指示や妨害などの幕府側の「嫌がらせ」もあり、薩摩藩士らの抗議の自刃があったことも史料に残されています。
マンガでは、薩摩藩士が幕府の官吏の理不尽さに耐えながら、決めた使命を愚直に遂行する姿と、それでも漏れる感情などが丁寧に描かれています。同時に洪水の恐ろしさも説明し、犠牲になるのは弱い庶民という事実にも触れています。さらにハッピーエンドとはいえない結末だからこそ、読者の心を動かすのではないでしょうか。同時に薩摩藩の幕府への「恨み」に同調してしまうのです。
◇17年かけて3度の賞
約20年前、みなもとさんの取材時に同行する機会がありましたが、人当たりの柔らかい方でした。「風雲児たちの完結はいつ?」という質問に対して「そのつもりはないのにライフワークになってしまった。これから作品は思いもよらぬ方向に行きそうです」と笑っていました。
同シリーズは2004年、手塚治虫文化賞特別賞を受賞。2010年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2020年に日本漫画家協会賞のコミック部門大賞を受賞しています。17年かけて3度の賞を取るというのも珍しいのではないでしょうか。
歴史は意見がバチバチにぶつかるので、学問から見れば異なる評価もあるかもしれませんが、マンガとしての評価は揺るぎません。そしてアニメ化される作品ほどの知名度はないのもその通りでしょうが、自信をもって一読を勧める作品です。
みなもと太郎さんのご冥福をお祈りしたいと思います。