【FIBAバスケットWC】代表選手として活躍したカーとキャメロンが語ったワールドカップの思い出
アメリカを率いるスティーブ・カーは、シカゴ・ブルズとサンアントニオ・スパーズの選手として5回、ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチとして3度、NBAチャンピオンを経験している。実はワールドカップでもアリゾナ大学に在籍していた1986年に、ソビエト連邦(現ロシア)を破って金メダルを獲得している。
アメリカは1990年まで大学生がワールドカップと五輪に出場していたものの、1986年を最後にアマチュアの代表チームとして最後の世界チャンピオンになれなかった。1988年のソウル五輪、1990年のワールドカップで3位に終わったことが、1992年のバルセロナ五輪でドリームチームが誕生するきっかけになったのは、バスケットボールを長く見ている人ならばご存知なはずだ。平均10点を記録して金メダル獲得に貢献した当時の思い出について筆者が質問すると、カーコーチは次のような答えを返してくれた。
「1986年にスペインで開催されたワールドカップに出場したことはいい思い出であり、我々は金メダルを獲得した。決勝戦では2点差(87対85)だったと思う。準決勝で私は膝の前十字靭帯を断裂してしまったんだ。でも、そのチームの一員になれたこと、家に金メダルがあること、それをたまに眺められることで、本当に素晴らしい経験だったと実感できる」
今回のワールドカップでは、4年前に7位に終わったアメリカのヘッドコーチとして王座奪回を目指す。マニラに来るまでに行った5試合で全勝したことは、FIBAルールに慣れていないアメリカにとってプラス材料。カーコーチは「この5試合は本当にいい流れだった。FIBAの試合を体感することは重要だったし、その中で最も重要なのはFIBAのルールに慣れることだった。FIBAのルールに慣れることと、(このメンバーで)一緒にプレーすることを学ばなければならない。そうしているうちに、ワールドカップで主役になりうる本当にタフなチームと対戦することができた。自信はあるけど、ダメージも受けた。スペインもドイツも我々に対して全力で向かってきた。この経験が我々の助けになるということは、彼らがいかにいいチームであるかということの証だからだ」と話している。
アメリカが初戦で対戦するのは、日本が8月上旬に太田アリーナで対戦したニュージーランド。ヘッドコーチを務めるのは、2002年のワールドカップで4位となった時のメンバーであり、大会ベスト5に選ばれたペロ・キャメロン。日本と対戦した2006年のグループ戦では、4Q1分24秒に同点となる3Pショットを決めるなど、ハーフタイムでの18点差を逆転する要因となった選手として覚えているファンもいるはずだ。
「私は双子(竹内兄弟)の一人とマッチアップしていて、決まっていれば我々がグループ敗退となるショットが外れたんだ。あれは本当にタフな試合だったよ。私の一番下の娘が生まれたばかりだったけど、彼女はもう18歳。随分昔のことになるね。我々は(ワールドカップ前に)1週間日本に滞在したけど、素晴らしいホストだったし、バスケットボールというスポーツに対してすごい熱意がある。日本はいいチームだ。彼らがこの大会でどこまで勝ち進むか楽しみだ」
こう語ったキャメロンコーチは、息子のフリンがニュージーランド代表として初めて今回のワールドカップに出場する。アメリカとの初戦はかなり厳しいものになるかもしれないが、NCAAディビジョン1(デポール大とカリフォルニア大リバーサイド校)でプレーした経歴を持つフリンは、グループ突破を目指すニュージーランドのカギを握る選手として注目したい。