エロより会話、「一人カラオケ」より「他人とカラオケ」。30代こそ昭和なスナックを活用したい
カウンター越しにママやホステスさんの苦労話を聞き、僕たちのバカな話(下の毛に白髪が増えてきた、など)を聞いてもらい、カラオケでは懐メロを熱唱し、他のお客さんの歌声にも拍手をする――。昨夜、地元の男友だち2人と近所のスナックに行き、晴れ晴れとした気分で帰って来た。12時過ぎまで飲んでいたのだが、今朝はいつもより目覚めがいい気がする。
20代の頃は、いわゆる「夜のお店」に通うオジサンたちが理解できなかった。独身の友人たちと遊ぶことに忙しく、高いお金を出して見知らぬ女の人に相手してもらうことに価値を見出せなかった。
30代半ばを過ぎた頃から「こういうことだったのか!」と知り始めた。友人たちの多くが結婚をし、仕事上の責任も高まると、かつてのように気軽には集まれなくなる。特に、小さな子どもがいる女友だちは酒場には付き合ってくれなくなった。
家族や仕事仲間との関係が良好であっても、急に飲みに行きたくなる夜もある。だけど、「今夜、空いてる?」と誘い合える友だちは限られている。一人きりでバーで静かに飲むほど酒好きでもないし、できれば明るくて優しい(フリでもいいので…)女性が一緒にいてほしい。そんなとき、孤独な中年男性は夜のお店に足を向けるのだ。
もう一つ知ったのは、夜のお店にもいろんな種類があり、一括りにするのはナンセンスだということ。用途に応じて使い分けるべきなのだ。風俗店は営業形態やサービス内容の違いによって細分化されているが、僕は大きく2つに分けられると思う。「エロ目的」か「会話目的」か、である。
キャバクラや外国人パブ、各種の風俗店は、エロ目的の店に括られる。「キャバ嬢とのトークが楽しみなんだ。下心はない」という男性がいるかもしれないけれど、露出の多い服を着た若い女性が隣に座ってくれる場所に積極的に行っているのに、エロ心は起きないのは不自然だろう。
一方、スナックは会話目的の代表格だと思う。店長は「ママ」ではなく「マスター」であることも少なくなく、ホステスさんたちの年齢層も高めだ。若いホステスの場合も、ママの好みで選んでいるからなのか落ち着いた雰囲気の人が多い。もちろん、隣に座ってくれることは基本的にないので、エッチな気持ちはかなり抑えられる。
では何を楽しむのかと言えば、おしゃべりだ。相手は経験豊富なプロなので、さまざまな工夫を凝らして客が気持ちよく話せるようにしてくれる。下ネタなども倍返しで打ち返してくれる。他の客とその場限りの会話が始まることもある。歌を歌えばお互いに拍手を送る。見知らぬ人の前で歌うのは最初は抵抗があるけれど、隣のおじさんの下手な歌を聞けば安心するし、酔っぱらっていれば恥ずかしさもなくなってくる。
僕はエロ目的の店を否定しているわけじゃない。むしろ世の中に必要だと思う。問題は「行きはウキウキしているのに帰りはたいてい寂寥感が募る」ことだ。性を金で買ったことへの罪悪感というよりも、体は一応満足したのに心が満たされないことのアンバランスさが原因なのだと思う。
会話目的の店は低刺激だ。母や祖母のようなママだけの店だったり、ちょっとした料理を食べられたり。地味なスーツ姿のおじさんが意外な美声で往年の名曲を聞かせてくれることもある(昨夜はチューリップの『虹とスニーカーの頃』に感動した)。心身が程よくバランスよく満たされ、ホクホクした気持ちで帰って来られるのだ。なお、エロ目的の店に比べると、時間当たりの料金は格段に安いので、安心して長居できる。
気になるのは客層のほとんどは40代以上だということ。店によっては老人クラブのようになっているところもある。昨夜も僕たち30代3人組が目立って若かった。20代では早すぎるかもしれないけれど、30代こそがスナック文化を支えていきたい。老舗喫茶店のようにレトロな内装の店が多いが、昭和生まれの僕たちには親和性が高いと感じる。
公私のストレスと孤独感に押しつぶされ、うつ気味になってしまう30代が後を絶たない。過労や睡眠不足が主因だとは思うが、人間関係のつながりが薄れてむなしさが募っていることも影響しているだろう。そんな同世代にこそスナックを勧めたい。エロではなく会話、「一人カラオケ」ではなく「他人とカラオケ」だ。