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王座戦五番勝負における千日手のドラマ

松本博文将棋ライター
2007年、王座戦五番勝負を羽生善治王座(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

【前記事】

王座戦五番勝負第1局で千日手成立 15時38分、指し直し局が始まる

https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190902-00140956/

 既報の通り、今期王座戦第1局は千日手となりました。

 千日手にもいくつかのパターンがありますが、本局は中盤の早い段階での千日手でした。

 指し直しまでの間の休憩は30分です。

 関係者にとっては、あわただしい時間です。また対局者にとってもやはり、休むには短い時間かもしれません。

 千日手成立後、いつもであれば対局者が駒を駒箱にしまうところ。立会人の中村修九段は両対局者を気遣って、その作業を省略してもらい、すぐに自室に戻ってもらったそうです。中村九段の人柄が伝わってくるようなエピソードです。

 指し直し局は現在進行中で、17時30分、夕食休憩に入りました。チェスクロック制の導入の夕食休憩の短縮(50分→30分)で、従来より大幅に終局時刻が早まることが予想されていましたが、千日手となれば話は別、というところでしょう。

 以下、過去の王座戦五番勝負で現れた千日手局を、いくつかご紹介したいと思います。

1991年第5局、谷川浩司王座-福崎文吾八段

 1991年の王座戦五番勝負は谷川浩司王座2勝、福崎文吾八段2勝で最終第5局を迎えました。福崎八段の中飛車穴熊に対して谷川王座が機敏に動き、大きくリードを奪います。しかし福崎八段が巧みに粘り、次第に混戦となりました。

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 図は終盤における典型的な千日手模様。▲3三金△同金▲3四金△3二金打という手順が繰り返され、20時11分、千日手が成立しました。

 その指し直し局は、将棋史に残る名局となりました。戦形は相矢倉に。谷川王座が勝ちと読んでいた終盤戦で、福崎八段から強烈な鬼手が飛んできました。

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私は福崎八段の次の一手を完全に見落としていた。

歩頭に△9六桂!

この桂打ちを、私はまったくウッカリしていた。一瞬、目の前が真っ暗になった。

出典:『谷川浩司全集』平成3年版

 △9六桂を▲同歩と取ってしまうと、先手玉は詰んでしまいます。この奇跡的な一手で形勢は逆転しました。

 終局は、日付が変わった0時4分。福崎八段は難敵中の難敵を降し、3勝2敗1千日手で王座のタイトルを手にしました。

 翌1992年、福崎王座は、若き羽生善治棋王の挑戦を受けます。結果はストレートで、羽生棋王が王座のタイトルも持つことになりました。

 以後、王座戦五番勝負の舞台はずっと、羽生王座の独壇場となります。

2003年第4局、羽生善治王座-渡辺明五段

 平成の将棋界は「羽生善治の時代」と言っても過言ではないと思われますが、中でも王座戦五番勝負での強さは圧巻でした。

 羽生王座が11連覇を達成した後に登場したのが、19歳の渡辺明五段でした。下馬評では圧倒的に羽生有利。しかし若き渡辺挑戦者は第3局を終えた時点で2勝1敗とし、逆に絶対王者を追い詰めます。

 そして第4局。相矢倉の戦いから、渡辺挑戦者がリードを奪いました。図はその終盤戦。

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 実戦はここから(1)▲8三銀不成△8一飛▲7二銀不成△8二飛という手順が繰り返されて、千日手に。

 当時の『将棋年鑑』では(2)▲8三桂成が最善手とされています。

(前略、▲8三桂成以下)先手の手勝ちが望めた。結果的に、ここでの踏み込みの可否がシリーズの明暗を分ける。

出典:『将棋年鑑』平成16年版

 ここで千日手にせず、踏み込んでいたら、あるいは19歳の渡辺王座が誕生していたかもしれない――。そして将棋界の歴史も、ずいぶんと変わっていたかもしれない。

 歴史はそう単純なものではないかもしれませんが、もしかしたら、少なからぬ人がそう思ったかもしれません。

 いま筆者の手元のソフトに見解をたずねたところ、形勢はほぼ互角。最善手は▲8三銀不成か▲8三桂成かで迷っています。それだけ難しい局面だったということでしょう。

 指し直し局は0時26分に終わり、羽生王座の勝ちとなりました。

 続く最終第5局も勝って、羽生王座の逆転防衛。12連覇を達成しました。そしてこの連覇記録は、19にまで伸びます。

2012年第4局、渡辺明王座-羽生善治二冠

 2011年。羽生王座の連覇記録を20目前でストップさせたのが、渡辺明竜王(当時)でした。

 翌2012年。羽生二冠(当時)はまたたく間にトーナメントを勝ち抜いて、渡辺王座への挑戦権を獲得。すぐにリターンマッチの舞台に登場しました。

 羽生挑戦者が2勝1敗で迎えた第4局。対局場は多くの名局が指された、鶴巻温泉の陣屋。現在2019年の王位戦第1局がおこなわれているのも陣屋です。

 渡辺王座有望かと思われた最終盤。羽生挑戦者は歴史的な妙手を放ちました。

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 歩頭に打ち捨てる△6六銀! この手はいったい・・・。

 この銀打ちは「敵の打ちたいところに打て」で「詰めろ逃れの詰めろ」になっていました。▲8三飛△同金▲同銀成△同玉▲8二飛△7四玉▲6六桂という後手玉の詰めろを消しつつ、そして先手玉にも迫っている。

 上図からは▲6六同歩△8九金▲7八飛△8八金▲同飛△8九金▲7八金△8八金 ▲同金△8九金▲7八金△8八金▲同金△8九金▲7八金打△8八金▲同金△8九金▲7八金打△8八金・・・という金の打ち替えが繰り返されて、22時9分、142手で千日手が成立しました。

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 残り時間は渡辺3分、羽生4分。

 指し直し局の持ち時間は規定により、残り時間が少なく、1時間に満たない渡辺王座の側に57分を足して1時間に。羽生挑戦者も同様に57分を足して、こちらは1時間1分に。持ち時間が2時間弱増える計算となって、それだけ終局時刻は遅くなりました。

 指し直し局が終わったのは、深夜2時2分。147手で羽生挑戦者が勝って、3勝1敗で王座に復位しています。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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