【その後の鎌倉殿の13人】北条泰時の次男・時実を襲った雨の日の悲劇とは
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嘉禄3年(1227)6月18日、その日は雨が降っていました。翌日(19日)には、丈六堂(丈六阿弥陀堂)で、開眼供養が控えています。丈六堂とは、大慈寺(神奈川県鎌倉市)の敷地内に、北条泰時の御願により建てられた御堂です。政子の3回忌のために建てられました。
丈六堂の開眼供養が明日にという時、事件が起こります。鎌倉幕府の執権・北条泰時の次男・時実が殺害されるのです。同日、早朝のことでした。時実を殺したのは、その家人・高橋二郎という者。高橋二郎について詳しいことは不明ですが「京高橋住人」と『吾妻鏡』(鎌倉時代後期の歴史書)にありますので、都にゆかりを持つ人だったのでしょう。
高橋二郎は、時実のみならず、傍輩(同僚)3人をも殺害しました。高橋がなぜ時実と自身の傍輩を殺したのか、『吾妻鏡』は何も記していません。職務上のトラブル、何らかの怨恨、様々な理由が想定できます。丈六堂の開眼供養が明日ということもあり、多くの御家人が鎌倉に参集していました。そうしたこともあり、すぐに高橋は捕縛されます。
捕まえたのは、伊東祐時の郎従。余談となりますが、伊東祐時の父は、曾我兄弟によって夜中に殺された工藤祐経です(有名な曾我兄弟の仇討ち=1193年)。捕えられた高橋は、即日、腰越の浜で、斬刑となりました。次男の死を聞いて、父・泰時は衝撃を受けたことでしょう。丈六堂の開眼供養は事件を受けて、延期が決まりました(6月19日に延期が決定)。