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【深読み「鎌倉殿の13人」】大泉洋さん演じる源頼朝は、残忍で冷酷な人物だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源頼朝を演じる大泉洋さん。(写真:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大泉洋さん演じる源頼朝は女性好きでコミカルな一方、冷酷な判断を下す非情な人物として描かれている。では、実際の頼朝はどんな性格だったのか、詳しく掘り下げてみよう。

■大河ドラマのなかの源頼朝

 大河ドラマのなかの源頼朝は、女性好きでコミカルである。大泉洋さんの役柄にぴったりである。一方、頼朝は重要な決断を迫られたとき、冷酷な判断を下す非情な人物として描かれている。

 むろん、この頼朝像は演出上のもので、実際はどうだったのかわからない。ただし、世間的に言えば、頼朝は有力御家人だけではなく、一族、兄弟さえ討ったのだから、あまり評価は芳しくない。

 通俗的な歴史本では、頼朝は冷酷で残忍だったと評価されている。では、実際に頼朝はどのような人物だったのだろうか。

■一言ではいえない頼朝の性格

 そもそも「頼朝は、こういう人物でした」と明記している一次史料(同時代史料)は、存在しない。その折々における頼朝の行動によって、判断されているのが実情だろう。

 頼朝に陰鬱な陰が付きまとうのは、青年期の体験が影響しているという。平治の乱で父の義朝が殺害され、自身は死罪であるところを許され、伊豆へと流された。こうした暗い体験は、頼朝の性格に大きく影響し、人間不信に陥ったという。

 それゆえ、頼朝が東国の豪族に擁立されて、打倒平家の兵を挙げても、周りを信用できなかったとされている。そのような理由から、頼朝は非常に疑り深くなり、平気で有力御家人、一族、兄弟を討ち滅ぼした。

 とはいえ、有力御家人、一族、兄弟を討ったことは、性格によるものかどうかの判断は非常に難しい。むしろ、政治的な意味で、取らざるを得なかった行動と捉えるべきだろう。

 例を挙げておこう。頼朝の祖父・為義は、家督を嫡男の義朝にではなく、弟の義賢に譲ろうとした。これにより、為義・義賢父子と義朝の関係は悪くなった。

 その挙句、義朝の嫡男・義平は義賢を殺害し、保元の乱では為義と義朝が戦った。このように、利害関係が一致せず、親子、兄弟間で戦った例は枚挙に暇がない。ましてや、ほかの豪族との戦いはたくさんあった。

■むすび

 これまで、通俗的な歴史本では、頼朝の青年期の不幸な体験をベースとして、非常に疑い深く冷酷な人間だったと説明されてきた。

 しかし、繰り返しになるが、頼朝の性格を明記した一次史料はない。そもそも頼朝に限らず、この時代の人物の性格が明らかになる例はほぼ皆無である。

 頼朝らの武将が冷酷な決断をしたのは、自らの身を守るためだった。そのためには一族や兄弟であっても容赦しなかった。それは時代の特質と言えるもので、安易に個人のパーソナリティーに求めるべきではない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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