五輪閉会式の国旗入場で流された『東京物語』のテーマ曲。イージーか、皮肉か、その複雑な反響
8/8の東京オリンピック閉会式の前半で、メダリスト、医師ら6人が日本の国旗を持って入場するシーンで、バックに流れたのは、映画『東京物語』の音楽であった。
その荘厳で静かなメロディは、国旗入場から掲揚に至る厳粛なムードにふさわしく、『東京物語』を観ていなかったり、あるいは記憶の彼方となっている人には、違和感なく受け止められたはずである。そして『東京物語』の音楽と気づいた人は、SNSで好意的なコメントをつぶやいていたりもしていた。
東京でのオリンピックに『東京物語』の音楽を持ってくるというのは、「東京つながり」というシンプルなわかりやすさではある。しかし、映画ファンではない人、とくに若い世代にアピールする選曲ではない。国旗入場の単なるBGMと感じられたことだろう。
ただ「世界に向けて」という意味で、多少の効果はあったと思う。小津安二郎監督の1953年の『東京物語』は、イギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」で、コッポラやスコセッシ、タランティーノ、デル・トロなど世界屈指の358人の映画監督が選ぶ、「映画史上ベストテン」で第1位に輝いている。2位が『2001年宇宙の旅』、3位が『市民ケーン』なので、その評価の高さは歴然だ。
実際に筆者も、さまざまな海外の映画監督にインタビューする際に、影響を受けた作品を聞くと、『東京物語』という答えが返ってくることがじつに多い。こちらが日本人なのでリップサービスで「クロサワ」という名前もよく出るが、それ以上に「トーキョーストーリー」が頻出する。
閉会式の演出家がそこまで世界的な認知を意識したかどうかはわからないが、日本が誇る名作、美しく荘厳な曲調という点で、選ばれたのは間違いない。
一方で、SNSには『東京物語』の選曲に関して、不満なコメント、皮肉なコメントも散見される。
『東京物語』が時を超えて、また国境も超えて愛され続けているのは、家族のリアリティ、その切実さ(もちろん他に戦争などさまざまなテーマを孕むが)を深くえぐっているからである。単に家族だから愛し合えばいいというものではない。そこには当然、シビアな分断もある。血縁以上に大切な絆、思いやりがあったりもする。『東京物語』が普遍的な感動をキープしているのは、家族関係の無情な現実を描ききったからだ。
そうしたシビアな分断を描いた映画の音楽が、安易に「東京」というタイトルつながりで五輪閉会式に使われたとしたら、違和感を抱く人もいるだろう。あるいは、もしこの東京オリンピックが、開催賛否も含め、さまざまな「分断」の中で行われ、それを象徴した選曲だったとしたら(その可能性は少ないが)、強烈な皮肉として受け止められる。
閉会式で流れた『東京物語』のメインテーマは、映画のラストシーンで強い印象を残す。突然、妻を亡くし、その後の人生を一人で生きていくことになった笠智衆の主人公が「一人になると急に日がなごうなりますわい」と、穏やかに語る。大切な人を失っての、静かな、そしてこの後続く哀しみが、2021年の東京オリンピックに重なるのも、なんだか切ないものがある。
『東京物語』での東山千栄子の老いた母親は、自分の仕事に忙しい子供たちや、最も親身になってくれる亡き息子の妻(原節子)に、ことあるごとに「ありがと」と言う。「ありがとう」ではなく「ありがと」だ。
東京オリンピックの閉会式の最後に、「ARIGATO」の文字が映し出された。
小津安二郎監督は、前回の1964年の東京オリンピックの前年、1963年の末にこの世を去っている。