カルロス・ゴーン氏、妻キャロルさんとの共著本を出版。「フランスは忠実だったゴーンを見捨てた」と
フランス政府は忠実だった『兵卒ゴーン』を犠牲にし、見せしめに
フランス時間で3月3日、19時に、カルロス・ゴーン氏がフランスのテレビ局LCIでインタビューに応える。妻キャロルさんとの共著本『いつも一緒に Ensemble toujours』(L'observatoire出版)の内容について、また日本での逮捕から逃亡劇までの過程について話す予定だ。本の内容の一部をお伝えしたい。
日本に居続けることは「結末がわかり切った出来の悪い歌舞伎」
300ページになるこの本の中で、逮捕の状況について、「彼ら(警察官たち)は私の持ち物を入念に調べた。そして、ジェスチャーで、服を脱ぐように言われた。全てだ。私はその通りにした。そしてパンツ、薄緑のズボンと長袖のシャツ、サンダルを渡された。時計、ベルト、財布が取り上げられた。持ち物リストが日本語で作られ、一言も言わずにサインをしなければならなかった。最後に、体重を量り、身長を測り、写真が撮られた。この時、私は、この時、すべてを剥ぎ取られたという感覚に衝撃を受けた」。
同氏は自分は陰謀にかかったと主張する。「一体、いつから彼らは私を破壊する企てをたてていたのだ?誰がその裏にいるのか?私の前にいろいろな人々の顔が浮かぶ。長年一緒に働いてきた人々、私が社内でトップに引き上げてやった人々が私を裏切ったのだ」と。
そして、「私は日産の数人の幹部、検事、日本政府の関係者が仕掛けた罠にかかった。これまでフランスで私の味方だった人々もほとんど名乗り出ず、他の人々はこれを機会に私への恨みを果たした。簡単すぎるではないか。私はもはや反論することができない状況にあったのだから」。
フランス政府は私を見捨てた
また、キャロル夫人が、夫の釈放を巡ってフランス政府に対してどのように働きかけたかも明かしている。「フランスの弁護士の勧めに従って、カルロスはマクロン大統領に手紙を書き、私(キャロル夫人)はその手紙を大統領官邸に持って行った。大統領官邸事務総長のアレクシス・コラーに手厚く迎えられた。『私はあなたのためになんでもしますよ。ほらこれが私の携帯番号です。何時でも電話をください』。しかし、私が彼に電話をしても、ショートメッセージを送っても返事はなかった」と。
そしてゴーン氏は「フランス政府が私を公式に見捨てたのは2019年1月11日、日本が私を長期拘留することに決定し、追起訴した時だ。フランス政府は私が退職する年齢であることを理由に、新しくルノー社のトップを任命した。今まで忠実だった『兵卒ゴーン』を犠牲にし、見せしめにしたのだ」。そして「私が日本で屈辱を受け入れていたというのに、それに対してフランス政府は無頓着な態度でしか応じなかったということに、大いにショックを受けている」と、マクロン政権に対する怒りを隠さない。
2019年12月の日本からの逃亡について「私は冒険をする男ではない。ただ、信念を持っており、しなければならないことは最後までやる。もちろんやり遂げることができるという身体的、精神的な自信もあった。(中略)日本に居続けることは、私にはゆっくり死んでいくことを意味していたからだ。結末がわかり切った出来の悪い歌舞伎だよ!日本を去ったのは、危険な冒険をしたかったのではなく、ただ私は自分の命を救いたかっただけだ」と書いている。
麻酔にかかったようで、怖くなかった
また、インタビューでは、「私にとって日本脱出に失敗することは死を意味していた。だから、生と死、この二つしか選択肢はなく、躊躇することなく生きることを選んだ」。
そして、「怖くはありませんでした。脱出計画を決断するときに恐怖はありましたが、決行するときには、一種、麻酔にかかったような状態で、東京の自宅からベイルートに着くまでの間、恐ろしさはまったく感じませんでした。(中略)1978年に公開された映画『ミッドナイト・エクスプレス』の主人公がトルコでドラッグ容疑で投獄され、劣悪な刑務所の環境で苦しみ、最後にトルコから脱出するというストーリーを実際に生きたようだった」と付け加えた。
「復讐するつもりはありますか」という質問には、「国家、企業に対して戦うことは、どんな手段を持っていようとできません。(中略)私はここ(ベイルート)で生活し、大学で教え、新しく人生を立て直しています」と。フランスに戻ることについては「日本司法のやり口を考えると、フランスには戻らないほうがいいでしょう」と、フランスとは距離をとった様子を伝えた。
※3月4日10時30分、加筆しました。