【逃げ上手の若君】「逃げ上手の若君」の主人公・北条時行とは何者なのか?
7月6日に「逃げ上手の若君」がTOKYO MXで放映された。松井優征さん作の「逃げ上手の若君」は、「週刊少年ジャンプ」で連載中の人気作品である。その主人公が北条時行なのだが、どのような人物なのか紹介することにしよう。
北条時行は、14代執権・北条高時の次男として誕生した。母は、側室の二位殿といわれている。一説によると、新殿(にいどの)が正しいとの指摘もある。
時行の生年は不明である。兄の邦時が正中2年(1325)11月の誕生なので、時行はそれ以降に生まれたことになろう。一説によると、元徳2年(1329)の生まれという指摘もある。
時行の幼名は勝長寿丸、勝寿丸、亀寿、全嘉丸、亀寿丸などが伝わっている。通称は、相模次郎だった。残念ながら、幼い頃の時行については、知るところがほとんどない。
高時は田楽や闘犬に熱中しており、「愚かで執権など務まらない」(『保暦間記』)と手厳しく評価されるような人物だった。田楽とは、楽と踊りから成る芸能である。闘犬とは、犬同士を戦わせる遊びである。
高時の人物評は編纂物に書かれたものであるが、おおむね外れてはいなかったという。高時は政治に熱心に取り組んでおらず、それは酒浸りだった父・貞時の影響があったのではないかといわれている。
高時の時代は御家人の窮乏化(元寇の影響による)、また悪党が各地で跳梁するなど、世情が不安だった。人々の幕府政治に対する不満は、大いに高まっていたのだ。それは、高時に対する不満でもあった。
当時、おまけに後醍醐天皇は天皇親政を目指し、正中の変(正中元年・1324)、元弘の変(元弘元年・1331)の2度にわたって、倒幕の兵を挙げたのである。
その都度、幕府は反乱の鎮圧に成功し、後醍醐は元弘2年(1332)に隠岐島に流されたのである。幕府としては、「もう倒幕運動は起こらないはず」と安心していたかもしれない。
時行の生きた時代は、まさしく鎌倉時代末期の政治不安が高まった頃だった。結局、鎌倉幕府は滅亡してしまうが、その辺りは改めて取り上げることにしよう。