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労使紛争が引き起こした悲劇!? 60本塁打と打率4割がどちらも幻に…

宇根夏樹ベースボール・ライター
マット・ウィリアムズ/捕手はホルヘ・ポサダ OCTOBER 30, 2001(写真:ロイター/アフロ)

 現在の労使協定は、12月1日に失効する。それまでに、MLB機構と選手会が合意に達し、新たな労使協定を締結できるかどうかは、まだわからない。

 メジャーリーグは、過去に5度のストライキと3度のロックアウトを経験している。そのうち、1972年と1981年、1994~95年のストライキは、試合数の削減を引き起こした。

 1972年は、開幕から86試合がキャンセルされ、各チームの試合数は153~156となった。その結果、ア・リーグ東地区では、156試合で86勝70敗のデトロイト・タイガースが地区優勝を飾り、155試合で85勝70敗のボストン・レッドソックスは地区2位に終わった。1リーグ2地区の当時は、ワイルドカードもなく、レッドソックスはポストシーズンへ進めなかった。

 1981年のストライキは、6月中旬から7月末まで。その中断を境として、レギュラーシーズンは前期と後期に分けられた。同じ地区の前期優勝チームと後期優勝チームがディビジョン・シリーズを行い、その勝者がリーグ・チャンピオンシップ・シリーズで対戦した。前期と後期をトータルすると、ナ・リーグ東地区はセントルイス・カーディナルスの勝率が最も高く、ナ・リーグ西地区はシンシナティ・レッズがトップだったが、どちらもディビジョン・シリーズには進めず。両チームは、前期も後期も僅差の地区2位という点も共通していた。

 1994年8月に始まったストライキは、翌年4月まで続いた。1994年のレギュラーシーズンは8月11日を最後に行われず、それぞれのチームは45~50試合を残したまま、ポストシーズンも開催されなかった。翌年は開幕が遅れ、レギュラーシーズンは162試合から144試合に短縮された。

 1リーグ2地区から3地区へ移行した1994年は、ナ・リーグ東地区でモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)が首位を快走し、ストライキに突入した時点では、地区2位のアトランタ・ブレーブスに6ゲーム差をつけていた。エクスポズの勝率.649(74勝40敗)は、両リーグで最も高かった。一方、ブレーブスは1994年を挟み、1991年から2005年まで地区優勝を「継続」した。

 サンフランシスコ・ジャイアンツのマット・ウィリアムズは、1994年に43本のホームランを打った。シーズンが打ち切られなければ、60本に到達していたかもしれない。ジャイアンツは115試合を行ったので、ウィリアムズの本数を162試合に換算すると、60~61本となる。当時、シーズン60本塁打以上を記録した選手は、1927年のベーブ・ルース(60本)と1961年のロジャー・マリス(61本)しかいなかった。その後、1998~2001年に3人が計6度、60本以上のホームランを打った。ウィリアムズが40本を超えたのは、1994年だけだ。

 一方、サンディエゴ・パドレスのトニー・グウィンは、1994年に打率.394を記録した。このままでは、1941年のテッド・ウィリアムズ(.406)を最後に途絶えるシーズン打率4割には届かないが、グウィンは「最後」の30試合(7月9日~8月11日)に、119打数50安打、打率.420と打ちまくっていた。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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