崖っぷちから正捕手獲りへ―阪神タイガース・岡崎太一捕手、12年目の挑戦!
■開幕スタメンマスクの可能性も・・・
「一番、若いやないか〜っ!一番、年寄りが〜っ!」宜野座ドームに矢野燿大作戦兼バッテリーコーチの声が響き渡る。矢野コーチの声の先、キレのいい動きでノックの球を追いかけているのは岡崎太一選手だ。確かに年下の選手たちの中にあっても、元気のよさが際立つ。
4年ぶりの沖縄キャンプで存在感を存分にアピールし、金本知憲監督に開幕スタメンマスクの可能性も口にさせるほど、評価が急上昇している。
岡崎選手の話になると「太一は必死や。自分が崖っぷちなのをわかっているから、何とか(チャンスを)手繰り寄せようとガムシャラにやっている。それはオレもヒシヒシと感じているよ」と、矢野コーチも目を細める。「太一のいいところは、とにかく全部に貪欲なところ。何でも吸収してやろうという姿勢、気持ちがすごい。キャッチングにしてもバッティングにしても。何かやってやろうとしているし、自分の中で何が必要か常に考えている。細かい部分は別として、太一に関しては現状、不満はほぼないね」と、手放しで讃える。
もちろん姿勢や気持ちだけではない。技術的にも評価している。「キャッチングもスローイングもいい。相手が捕りやすいボールを投げられる。キャッチングが安定しているから、それがスローイングに繋がっている。足もよく動いている。ピッチャーへも意図が伝わりやすいように、ジェスチャーを工夫したりもね」。賛辞を惜しまない。
■崖っぷちの12年目。転機は昨年の秋季キャンプ
プロ11年間で1軍出場は通算41試合。昨年は1試合のみだった。「チャンスはもらっていたけど、自分が生かせていなかったんで…」。グチらず腐らず、黙々と自身がやるべきことに向き合ってきた。「『自分は絶対にできるんだ』という思い込みで、準備だけは怠らないようにしようとやってきた」と話す岡崎選手。
それでも毎年、シーズンの終わりが近づくと覚悟をした。ウエスタン最終戦には家族を招いた。「やれるという気持ちはあったけど、自分がそう思っても切られる時は切られるし、『今年で最後かもしれない』という覚悟で毎年やってきた」と振り返る。
転機は昨年の秋季キャンプだった。それまで金本監督とは「そんなに話したことはなかった」という。いやそれどころか、現役を引退直後、ファームの施設がある鳴尾浜に右肩のリハビリに来ていた当時の金本氏から「オマエ、まだおったんか!?はよ辞めぇや!(笑)」と冗談とはいえ、キツ〜イ言葉を浴びせられたりもした。
秋季キャンプ中のある日のバッティング練習後、道具を置きにベンチ裏に入ると、そこに金本監督がいた。突如、「オマエ、どうしたいねん。とにかくバッティングがひどいな!自分でどう思ってるねん」と言われた。岡崎選手は藁にもすがる思いで「どうにかしたいです!全部変えてでも!!」と訴えた。すると金本監督は一言、「よし、わかった」と答え、全体練習が終わった後、室内練習場に呼ばれた。「バット振ってみぃ!」金本監督の目の前でスイングし、その後、教えを授けられた。
「これだけやっとけ!」と言われたことを、オフの間もとにかくやり続けた。それがようやく今、「形になっているかどうかわからないけど、たまに『マシになったな』と言っていただけるようになった」と、岡崎選手の中にも手応えが出始めてきた。
ポイントは2点だという。「地面と平行に振る」ことと、「バットは体の近くを通るよう内側から出して、しならせる」ことだ。「結果とか飛距離じゃなく、自分の打感が変わってきた。今までの“こすってる”感じから、“噛んでる”ような感覚っていうか…上手く説明できないけど」。言葉では言い表せないその手に残る感覚は、確かなものになりつつあるようだ。
■キャッチャーとして大切なこと
バッティング以上にキャッチャーとしての仕事は重要だ。岡崎選手が最も大切にしているのは「ピッチャーの気持ちをわかってあげること」だという。「ボク自身、実績がないので、引っ張るっていうより、ピッチャーがどうしてほしいのか、どう投げたいのか聞いて、そこから気づいたことを言うようにしている。まず自分の意見を言うんじゃなく、ピッチャーも言いたいことはあるから」。
何度も話をして、気づかされたこともある。「配球でリズムを作ることができるとか、キャッチングの強弱をつけることも大事だとか、ピッチャーに教わった」。ピッチャーからの要望を聞き入れ、自分からも意見を言い、コミュニケーションを重ねている。
スローイングに関しても、首脳陣から高い評価を得ている。「足をしっかり使うことを意識している。今までは力いっぱい投げていたけど、8割の力でバランスとコントロールを重視してやっている。上(半身)で投げていたのを下(半身)で粘って投げるようにして。力いっぱい投げてきて、(盗塁阻止)率も良くなかったし」と明かす。「いいキャッチャーを見ていたら、一連の動作で投げている。矢野さんもそう。そういうのを掴みたい」と、グラウンドでの練習だけでなく、宿舎に帰ってビデオなどを見て勉強もしているそうだ。
小学3〜4年生からずっとキャッチャーだ。「もともとはピッチャーやってて、コントロール悪くてすぐクビになって(笑)。でも肩が強かったからキャッチャーになった。他のポジションはできなかった、動き的な部分でね。キャッチャーは動きが少ないから」と笑う。
20年以上マスクをかぶり続けた今、「試合に勝った時、0で抑えた時。自分が打って勝つのも嬉しいけど、キャッチャーで守って勝つのは本当に嬉しい」と、キャッチャーとしての勝利に勝るものはないと語る。
ファームではファーストやサードも経験した。「そりゃ他のポジションでも試合に出られた方がいい、って割り切ってはいたけど…」。しかし守りながらも、考えるのはキャッチャーのことだった。「何とかキャッチャーに活かす方法はないか、と。野手が守りやすいリズムがあるなって思ったら、キャッチャーの時にやってみようって」。どこまでもキャッチャー目線だった。
■家族の存在と息子の言葉
正捕手が決まっていないチームにおいて、このキャンプでも最も注目を集める存在になっている。取材も増えている。しかし「こっちの新聞やテレビでは、そんなにタイガースを扱ってないし、自分自身ではわからない」と浮き足立つこともない。
関西で待つ奥さんも「子供のことでいっぱいいっぱいなんで、ボクのことに関心ないから(笑)」と、報道を気にすることもないようだ。「奥さんは、いい時も悪い時も変わらない。どんな時も一喜一憂しないんで、それは助かる」と、感謝している。
そんな奥さんと3人の子供たちが、岡崎選手にとっては大きな心の支えだ。「1軍のチャンスどころか2軍でも出られないことが多かった。遠征の居残りとか、正直辛かった。心が折れそうになった。でも、そういう姿をチーム内でも見せないようにしようっていうのは思っていた。そうなるのも自分の責任だし、自分にできることは何かと考えたら、練習しかなかった」。
辛い時、やるせない時、家族の存在の大きさを痛感する。「一人やったらもう、とっくの昔に諦めていたと思う。でも子供とたまに野球の話をする時に思うのが、もしボクがグラウンドで気持ちの切れた態度をしていたら、子供に胸張って話せないなって。子供にはカッコイイ親父でいたいし、子供に話せないような自分ではいたくないって思うから」。小学1年の長男にとっては、パパはヒーローなのだ。
その長男に初めて言われたことがあるという。1月のキャンプ直前のことだ。「パパ、1軍と2軍、どっち?」と訊かれ、「1軍やで」と答えた。すると長男が発した一言が「やっぱりパパは1軍にいてくれないと!」だった。そこでハッと気づかされた。まだ何もわかっていないと思っていた息子が、これまで2軍だったこともわかっていたんだと。
「子供たちはボクが1軍でプレーしているのは記憶にない。2軍の地方遠征とかしか見てないなぁって。だから今年はいっぱい見せたい。1軍で1試合でも多く」。それが今、とてつもなく大きなモチベーションになっている。
様々なタイプのキャッチャーがいる。圧倒的なリーダーシップでグイグイ引っ張っていくキャッチャー。ピッチャーを乗せて、気分良く投げさせるキャッチャー。相手の弱点を攻めるキャッチャーもいれば、ピッチャーの長所を引き出すキャッチャーもいる。岡崎選手はこう語る。
「理想のキャッチャー像というのがある。野球をずっとやっていたら、いい時も悪い時もある。エラーする時だってある。それでも絶対に下を向かず、ひたむきにチームの勝ちのために元気出して声出してプレーし続ける。ピッチャーと一緒にね。泥臭くやっていきたい」。元気いっぱい、泥臭く、野球を始めた頃のような“原点のプレー”をやり続ける。
それを見た子供たちはきっと、パパのことを誇りに思ってくれるだろう。