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松坂大輔はなぜ登板回避となったのか… 「術後2年」が完全復活へのカギ?

田尻耕太郎スポーツライター
12日のキャッチボール後に撮影

先発予定3日前に不調を訴える

やはり「見たかったな」というのが本音だ。

4月15日のヤフオクドーム。当初はこの日のオリックス戦に、松坂大輔が日本球界復帰後初めて、公式戦で先発に臨むはずだった。しかし、12日のファームでの練習で右肩付近に不調を訴えた。一軍先発に向けた最終調整だった打撃投手を回避。2年前の右肩手術からの完全復活を目指すべく、せっかく巡ってきたチャンスを、水泡に帰す結果となったのだ。

あの日は全体で行ったウォーミングアップには通常通り参加し、室内練習場ではキャッチボールも行っていた。だが、そのキャッチボール終了後、右肩というよりも右腕の付け根付近を気にして揉むしぐさをしていたのだ。それでも、しばらくしてメイン球場のタマスタ筑後に移動してブルペンで投球を行ったらしいが、結局はその時点で回避を決めたということだった。

投げていないのに、なぜ右肩不調?

ソフトバンク球団からは症状など特に正式な発表はなく、メディアからの取材に対しても故障の程度や細かな箇所、原因など明確な回答はしていない。チームとしては正直、想定外だったのだろう。ややナーバスになっているようにも感じる。

それもそのはずだ。

松坂は3月25日のオープン戦に先発登板して以降はずっと、実戦マウンドには立っていなかったのだ。

それは特に右肩などの不調が原因ではなかった。4月1日、同6日と先発予定だった2軍戦がことごとく雨天中止。登板がずれ込む中で、一軍ローテに穴が開いたために声がかかった形だった。

それだけに専門家は一様に首をかしげた。何人かのプロOBの元投手に訊いても「試合で投げていないのに痛みが出るというのは分からない」と声をそろえた。ある意味当然の見解である。

だが、少し角度を変えて、某球団のトレーナーにも話を聞いてみた。

すると、松坂に何が起こったのか、その理由が少し見えてきた。

「本当に馴染むまで丸2年」

「医学上で証明されているわけではないのですが、肩でも肘でも手術行った場合、自分の体に本当に馴染むまでは丸2年はかかるのかもしれません。選手たちの声を聴くと、そのような意見が多いのです」

リハビリに関して、かつて右肩を手術した斉藤和巳氏は「薄皮を一枚一枚剥がしていくようなもの。前進をしているのか、実感がわかない時もある」と話していた。

手術後は右肩上がりで回復するわけではない。状態の上がり下がりを繰り返しながら、徐々にその平均値を上げていくと言った方がいいだろう。

つまり、プロ野球選手たちの実感としては、リハビリを経て投げられるようになったとしても、2年が経つまでは状態の上下をまだ繰り返すというのだ。

松坂は2年前の8月に右肩手術を行っており、丸2年には到達していない。そう考えれば、まだ復帰途上の段階にあるのかもしれない。

広島打線を無安打無失点に抑えたワケ

オープン戦では4試合に登板して1勝0敗、防御率2.95とまずまずの成績を残した。なにより最終登板だった3月25日の広島戦(ヤフオクドーム)では7回無安打無失点の快投を演じた。

この試合で1番打者だった広島の安部友裕は「思った以上に動く松坂さんのボールにびっくりした。松坂さんが投球スタイルを変えているのはもちろん知っています。でも、やはり松坂さんのイメージは『ドン』と来るストレートとスライダー。分かっていても、それが頭にあるから、余計にびっくりしてしまったところもありました」と振り返った。

かつてのスタイルとは違えど、平成の怪物は新しい輝きを放つ準備を整えていた。だからこそ、余計に先発登板が流れたのは惜しいのだ。

残念がったのは対戦相手も同じ。特に小谷野栄一はその一人だ。

オリックス小谷野「また機会はあると思っている」

彼らは同級生。小学校は同じ地域で「何度も対戦した。投げ合ったこともある。でも、勝ったことがないんです」と懐かしそうな顔をした。小6から中3までは同じチームでプレーをした経験もある仲だ。

「楽しみにしていたんですけどね。だけど、また対戦できる機会は必ずあると思っています。僕もそれまで、今の好調をキープし続けられるように頑張っていきたいです」

松坂の次回登板時期は現時点では不明だ。一部ファンからは厳しいバッシングの声も上がるが、とにかく今はまだ復帰途上という捉え方が正しいのかもしれない。

術後丸2年まではあと4か月。必ず完全復活すると信じて、かすかでも確実に前進する怪物を、期待しながら見守りたい。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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