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食料安保論の罠

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 農業・食料問題の分野にも国家主義が押し寄せている。ここではとリあえず「食料安保」論について考える。ウクライナでの戦争に端を発した食料高騰は単に輸送の糞詰まりに過ぎないというのが客観的事実なのだが、それが日本の自給率の低さと連動したとき、いきなり国家が全面に現れる。国が責任を持って食料自給力を上げ、国民の食料を確保せよ、という議論が右からも左からも声高に叫ばれ、国家が全面にあらわれる。

 この流れに無批判に乗っていいのか、そんな疑問をかねがねもっている。いまこの国は、ウクライナ・台湾海峡問題を巧みに利用しながら先制攻撃を国是とする大軍拡に足を踏み込んでいる。国家の安全保障をすべてに優先させることが国政の柱として位置づけられ、経済安保が経済・貿易政策の前提となった。ウクライナでのロシアの侵略戦争と米中対立を軸に、国際的にはかつて第二次世界大戦の要因となった経済のブロック化が進んでいる。

 自由貿易に代わって供給網管理が国際的な経済談義の中心になった。経済安全保障、いわゆる経済安保である。ついこの間までの自由貿易論がなつかしく思えるほどの様変わりである。いま経済安保の戦略物質は半導体とその周辺のいくつかの物資が挙げられている程度だが、近いうち食料が国家国民を守る戦略物資として指定されることは間違いない。

 ここまで書いていくつかのことを思い出した。1910年の日韓併合のあと、日本国が行った植民地政策の中でやったことのひとつに日本稲品種の作付け強制と土地改良がある。地域の風土に適合して作られ続けられていた韓国の品種は憲兵の手で引き抜かれた。こうして生産された日本米は強制的手段を伴いながら内地日本に運ばれ、安いコメとして労働者階級向けに販売された。このため国内の生産者米価が下落、貧農の困窮が一層強まり、それを救うためと称して満蒙開拓事業が押し進められた。貧農が中国侵略の先兵として使い捨てられたのである。日本国家によるアジア侵略戦争のさきがけとなった満州国建設の狙いの一つに大豆があったことはよく知られている。

 国内では、戦争遂行のための国家総動員体制が敷かれ、食料は真っ先に組み込まれた。青森では田の草取りを後回しにしてリンゴの袋かけを優先した村を警官が急襲、農民を大量検挙する事件があった。花産地房総では花の種と苗木が焼き捨てさせられた。各地で桑が伐られ、イモ畑に変えさせられた。

 いま、世界の経済は食料を含め網の目のようにつながっている。ウクナイナ戦争によって化学肥料の原料輸送が途絶え、世界各地の農民が化学肥料の高騰と不足に襲われた。日本の農民も大打撃を受けているが、購買力が低いアフリカやアジア、中南米では死活問題となっている。それぞれの国が食料安保を言い立て、自国だけしか見ない食料生産・市場の閉鎖空間を作り始めたら、飢餓は目に見えない形で一層深刻化することは目に見えている。

 貧困研究で1998年にノーベル経済学賞を受けたインドの経済学者アマルティア・センは、飢餓の要因は食料供給不足にあるのではなく、社会構造、具体的には雇用や社会保障、相互扶助のあり方、さらには表現の自由といった人権が保障されているかどうかによる、と広範な実態調査をもとに喝破している。つづけて彼は貧困と飢餓を解消するには、公衆のための公共政策と公衆自身による公共行動が必要であると述べている。

 このセンの説に従うならば、食料問題で私たちがいまやらなければならないのは、国家が食料を管理する途を切り開く食料安保ではなく、軍事拡大・戦争国家化への途に立ちふさがり、戦争をしない・させない運動、センがいう公共行動に参加することではないかと思っている。 

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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