【名古屋市緑区】名古屋駅から電車30分!絞り染めの町「有松」とは?
名古屋といえば、ビルや住宅街が立ち並ぶ都会のイメージ。しかしながら、その至る所に"歴史"も散りばめられているのは、ご存知でしょうか?
中でも江戸時代には、尾張徳川家のお膝元・街道(東海道・中山道・飯田街道など)の結節点として繁栄をみせました。
今回は、2018年5月に日本遺産へ登録された「有松の町並み」を少しご紹介します。
町並みは800mと距離こそ短いですが、広い間口の家々は圧巻!名古屋駅から30分で、江戸時代にタイムスリップをする時間を過ごせますよ。
有松の町が位置しているのは、旧桶狭間村と鳴海村の間。前者について、聞き覚えがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そう!実は、織田信長と今川義元が戦った「桶狭間の戦い」が有名ですね。
そうした歴史のあるこの場所ですが、江戸時代のはじめには人家のない地域でした。
しかし江戸時代に東海道を整備するにあたって、治安上の問題もあり、旧桶狭間村と鳴海村の間に村を開こうという計画が持ち上がったのです。
尾張藩が知多郡全域に高札を掲げ、この地域への移住を呼びかけたことで、「有松村」が開かれました。
しかし、有松村は農作地が少ない土地柄。そこで、新たな産業として興ったのが、伝統産業「有松絞り」です。
移住者の一人、竹田庄九郎が豊後(現大分)の絞り染めを参考に「有松絞り」を考案し、東海道を行き交う人々へ販売したところ大ヒット!
尾張藩からの保護も受け、尾張地区の一大名産品としての地位を確立しました。十返舎一九の描いた「東海道中膝栗毛」でも、その繁栄の様子が取り上げられています。
町並みは絞り染め問屋が軒を連ね、大きな邸宅が並びます。
通常は間口の広さで税金が課されますが、江戸時代の尾張藩の優遇策により、それを免除されていたことが大きな理由です。
こうした邸宅が物語っているように、有松絞りの経済効果は莫大でした。有松絞りの繁栄に伴い、町は急成長していきます。
しかし、天明の大火(1784年)で町が焼失してしまいます。
そこで、なまこ壁や瓦を使用するなど、防火対策を施した建物からなる、現在の景観ができ上がりました。
今では、有松絞りの商家の数軒が有形文化財に認定され、その歴史的・伝統的価値が再認識され、2019年5月には日本遺産への登録も決まっています。
いかがでしたでしょうか。今回は名古屋が誇る、美しい町並み「有松」をご紹介しました。
名古屋からアクセスしやすく、少し散策するだけで歴史と街道情緒に浸ることができます。町並みを歩く中で、いろいろな発見もあり、とても面白いので一度訪れてみてください。
<有松の町並み>
住所:愛知県名古屋市緑区有松809
アクセス:名鉄・有松駅からすぐ