オートバイのあれこれ『紫煙を吐くグリーンモンスター。』
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/rotti/article/01805661/title-1718550485399.jpeg?exp=10800)
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『紫煙を吐くグリーンモンスター。』をテーマにお話ししようと思います。
カワサキにはかつて、「グリーンモンスター」と呼ばれたレーシングマシンがありました。
『H2R』。
![▲レーシングマシン・H2R〈1972〉](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/rotti/article/01805661/image-1718550508161.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
H2Rは、『750SS マッハⅣ』のエンジンを使った市販レーシングマシンです。
750SSのエンジンをレース用にチューニングし、『H1R』(『500SSマッハⅢ』ベースの市販レーサー)の車体へ搭載されていました。
![▲750SS MachⅣ〈1971/画像引用元:川崎重工〉](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/rotti/article/01805661/image-1718550584863.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
ハイスピード時に車体の浮き上がりを防ぐため、カウルにスタビライザーが装備されるなど、川崎重工の航空機開発ノウハウが織り込まれていたのもポイントです。
カワサキのワークスレーサーとしては1972年(昭和47年)からレースを走るようになり、オンタリオ200マイルロードレースにて初勝利を挙げ、その後73年には全9戦中5勝という圧倒的な戦績でAMAロードレース選手権(全米選手権)の年間チャンピオンを獲得しました。
デビュー3年目の74年には、デイトナ200マイルレースやFIM(国際モーターサイクリズム連盟)が世界グランプリとは別に創設した『フォーミュラ750』、そして日本国内のロードレース等、ますます出走の機会を増やしていきます。
しかしこの頃になると、水冷エンジンを搭載した『TZ750』(ヤマハ)などが現れ始め、空冷のH2Rは勝つことがだんだん難しくなっていきました。
![▲ヤマハのTZ750。エンジンは水冷2ストローク並列4気筒だった](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/rotti/article/01805661/image-1718551173990.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
ライバルが急激に進化するなかで、カワサキもH2Rばかりに頼っていられなくなり、とうとう後継マシンとして水冷エンジンを搭載した『KR750』を開発。
KR750にバトンを託す形で、H2Rは74年を以てワークスレーサーの座を引退したのでした。
![▲H2Rの後継・水冷エンジンを搭載したKR750〈1976/画像引用元:川崎重工〉](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/rotti/article/01805661/image-1718551220999.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)