ジョニー・ギター・ワトスンを特集した『ブルース&ソウル・レコーズ』誌Vol.127が好調
日本で唯一のブルース&ソウル専門誌『ブルース&ソウル・レコーズ』No.127(株式会社スペースシャワーネットワーク刊)の特集は“ジョニー・ギター・ワトスンとブルースの70年代”である。
2016年はジョニーが亡くなってから20年。バイオグラフィーや過去のインタビュー記事発掘、ディスコグラフィ、各ライターが語った彼の魅力などを詰め込んだ同誌は素晴らしく充実した内容で、まさに永久保存版だ。実際、書店やネット通販などでかなり好調な売れ行きだという。
ブルースを軸に据えながらソウルフルでファンキー、ユニークな音楽性で人気を博してきたテキサス・ミュージシャンのジョニー。「エイント・ザット・ア・ビッチ」「スリー・アワーズ・パスト・ミッドナイト」「ギャングスター・オブ・ラヴ」などがヒットしたのに加えて、ゲイリー・ムーア&アルバート・コリンズが「トゥー・タイアード」をカヴァーしている。
日本のファンにとってジョニーが特別な存在なのは、彼が日本で亡くなったことも理由のひとつだろう。1996年5月17日、『横浜ブルース・カフェ』のステージで彼は心臓発作を起こし、そのまま帰らぬ人となったのだ。
●ジョニー最後のステージ
前日の札幌公演を体調不良でキャンセルしていたジョニーだが、この日はかなり元気で、ライヴ前にはケータリングの軽食も口に運んだりして、ショーに備えていた。
まずバック・バンドがステージに上がって前奏を開始。続いて最新アルバム『バウ・ワウ』の1曲目「ジョニー・Gズ・バック」のイントロと同じ掛け合いに入る。
「Where’s he? Where’s he been? … Johnny G’s back!」
というコールに呼ばれて、ジョニーが登場。間を置かず「スーパーマン・ラヴァー」を歌い出す。
ファンキーなグルーヴでノリノリなこの曲に乗ってスタート!…と思わせたが、その直後にジョニーはガクッと崩れ落ちて、そのまま倒れ込んだ。
当初、その場にいた観客はそれをジェイムズ・ブラウンばりのパフォーマンスだと思い込んでいた。声援を送れば立ち上がると考えたのか「ジョニー!」コールが起こったりしたが、バンドが突然演奏を止めたのと、スタッフが血相を変えてステージに上がってきたことで、ただならぬ空気が伝わってきた。
救急車が到着するまでの間、会場の玄関を開け放し、外の風を場内に入れるなどの努力が成されたが、救急車で病院に運ばれた彼は午後9時16分に亡くなった。
翌日、彼が出演する予定だった日比谷野音での『ジャパン・ブルース・カーニバル』は開催されたものの、一日ずっと重苦しい空気が漂っていた。
●ジョニー最後のインタビュー
亡くなった当日、ジョニーは2本のインタビューを受けている。ひとつが筆者(山崎)、もうひとつが森田純一さんとのインタビューだった。
このとき、ジョニーは1985年以来となる来日を喜び、「長いあいだ来れなくて、すまなかった。今晩のショーを観てもらえば、きっと失望することはないだろう」と宣言していた。
興味深かったのは、ジョニー・“ギター”・ワトソンを名乗る彼が、ギターよりもキーボードを「俺のハート」と語っていたことだ。
「“ジョニー・ギター”という名前は西部劇の主人公から取ったんだ(『大砂塵』/1954年)。悪党をやっつけて、夕陽を背にしてギターを弾き、腕には美しい女性... 『かっこいい!』と思ってその名前を使うようになった。だからと言ってギターだけに専念する気はなかった。どの楽器も対等なんだ。ただ、キーボードこそがオレのハートだ。ギターも愛してるけど、キーボードはオレの人生において重要な一部を占めている。だけど、ステージ・パフォーマンスはギターの方がやりやすいことは確かだ。オレにとってギターはパフォーマーとしての楽器だ。キーボードだとステージの定位置にいなけりゃならないしね」
彼はまた「音楽シーンが変わればオレも変わる。常に新しいリスナーのことを念頭に置いて活動してきた」と語り、生前最後のアルバムとなった『バウ・ワウ』がヒップホップから影響されていることを認めている。
その逆に、Dr.ドレー、スヌープ・ドギー・ドッグ、シャキール・オニール、ウィル・スミス、アイスTらが自分の曲をサンプリングするなど、新旧世代が刺激を与えあっていることを指摘していた。
必ずしもトラディショナルなブルースマンではなかったジョニーだが、彼は常にブルースが生き続けることを願っていた。
「ブルースという音楽形態はもう何十年も続いてきたから、誰かが新しい次元に持っていかなければならない。それがオレの役目だ。いや、そうすることがオレの本能なんだ」
彼は1996年後半にレコーディングする予定だったニュー・アルバムについて「トラディショナルなブルース・アルバムになる」と宣言していた。残念ながらそれは実現しなかったが、ジョニーが伝統的なブルースをやったらどうなっていたか、ぜひ聴いてみたかった。
時折「ガハハハ」と豪快な笑いを交えながら、ブルースの未来に対する不安と希望を語ってくれたジョニーとの対話は、筆者にとっての宝である。一方、そのわずか数時間後に目の前で彼が亡くなったことは、現在でも自分の中に影を落としている。
海外で再評価の声が高まりつつある今、『ブルース&ソウル・レコーズ』誌の特集が日本の音楽リスナーの注目を再びジョニーに向けることを願ってやまない。