きょう判決 4630万円の誤振込事件、実刑か執行猶予か無罪か…判決の焦点は
山口県阿武町による4630万円の誤振込に端を発した電子計算機使用詐欺事件に対し、きょう山口地裁で判決が言い渡される。検察側が懲役4年6か月を求刑し、弁護側が無罪を主張する中、裁判所の判断が注目される。
検察・弁護双方の主張は?
検察側は、男性が4630万円について誤振込だと分かっており、これに対する「正当な権限」などなかったにもかかわらず、銀行側に事情を告げないまま、正当な権限があるかのように装ってオンラインカジノ側に送金させた点を「虚偽の情報」とみた上で、電子計算機使用詐欺罪が成立すると主張している。
しかも、検察側の求刑は男性を実刑にすべきだというものだ。金額の大きさやほぼ全てを次々とオンラインカジノに使った大胆さ、事件の社会的影響などを踏まえると、執行猶予に付すのは妥当でないという判断だろう。
これに対し、弁護側は、前提となる送金の事実については認めているものの、次のような理由を挙げ、電子計算機使用詐欺罪の成立要件を充たさないとして無罪を主張している。
・たとえ阿武町からの4630万円が誤振込であっても、民事的にはその預金債権は男性に帰属していた。
・男性には銀行に誤振込の事実を告知する義務などないし、男性は阿武町からの連絡ですでに銀行もこれを知っていると考えていたから、告知を要するという発想すらなかった。
・男性がオンラインカジノ側への送金手続の際に使用した暗証番号などは男性自身のものであり、何ら誤りはなく、「虚偽の情報」ではなかった。
最高裁判例との整合性が問題に
判決の焦点は2つある。1つめは、裁判所が有罪・無罪に関していかなる理論構成に基づいてどう判断するのかという点だ。誤振込に関する1996年と2003年の次のような最高裁判例との整合性が問題となるからである。
【民事裁判に関する1996年の判例】
・たとえ誤振込であっても、受取人は銀行に対し、その金額に相当する預金債権を取得する。
・振込依頼人は受取人に不当利得返還請求権を行使できるが、預金債権の譲渡を妨げる権利まではないから、受取人の債権者が預金債権を差し押さえた場合でも、これを許さないように裁判所に求めることはできない。
【刑事裁判に関する2003年の判例】
・受取人は、自らの口座に誤振込があると知った場合、振込依頼前の状態に戻す「組戻し」のほか、入金処理や振込の過誤の有無を確認・照会する措置を講じさせるため、誤振込があったという事実を銀行に告知すべき信義則上の義務がある。
・社会生活上の条理からしても、受取人は誤振込分を振込依頼人等に返還しなければならず、最終的に自らのものとすべき実質的な権利などないから、告知義務があるのは当然のこと。
・誤振込があると知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求し、その払戻しを受けた場合には、詐欺罪が成立する。
2003年の判例からすると有罪になりそうだが、銀行の窓口で銀行員を相手にして実行した詐欺事件に関するものであり、今回のように機械的な判断をするだけで「だまされる」という要素のないコンピュータ相手の電子計算機使用詐欺罪についてまでこの判例の理屈が通用するのかが問題となる。
検察側は新判例を作る意気込みであり、もし地裁が無罪にすれば、控訴することになるだろう。
情状も問題に
判決の2つめの焦点は、有罪の場合でも、情状酌量の上で懲役3年程度の量刑とし、執行猶予を付けるか否かだ。
それでも弁護側は控訴するだろうが、実刑を求めているとはいえ検察側までもが控訴するかは微妙かもしれない。男性にとって次のような有利な事情が考えられ、社会がこれをどう受け止めるかにもよるからだ。
・25歳と若く、支援者らの支えで仕事を始めており、社会内での更生が期待できるから、再犯の可能性は乏しい。
・男性の手によるものではないとしても、阿武町の代理人弁護士が迅速に動いた結果、損害分の全額回収を果たしている上、民事裁判では賠償金を支払い、町との間で和解まで成立している。
・誤振込そのものや直後の返金請求における対応をみると、町の担当者にも落ち度があった。
1人の裁判官が結論を左右
地裁の裁判は、裁判官3人の合議による場合と、1人で審理するものとがある。法定刑が重ければ必ず前者となるが、詐欺罪だと後者が基本であり、裁判所が裁定することで前者も可能となる。
この事件は社会を騒然とさせ、マスコミでも大きく取り上げられたばかりか、電子計算機使用詐欺罪をめぐる新判例になるような特異なケースなので、当然に裁定合議となり、3人の裁判官で審理するものとみられていた。
しかし、実際には裁判長クラスの裁判官が1人で審理を担当しており、判決まで書くことになっている。法曹実務家や刑法学者の間では無罪説も有力だが、一審はこの1人の裁判官の考え方次第で結論が大きく左右されることになるから、まずはその判断が重要となるだろう。(了)