規定変更のカタールW杯。問われるのは選手の力量より代表監督の力量。森保監督で本当に大丈夫なのか?
カタールW杯までおよそ5ヶ月。残された森保ジャパンの活動は7月に開催される東アジアE1選手権と、9月に行われる欧州遠征2試合のみとなる。しかし、前者は国内組主体の編成だ。日本在住のファンが純然たるA代表で臨む代表戦をナマで観戦する機会は、0-3で完敗した先のチュニジア戦が最後になった。
11月21日に開幕するW杯は、欧州のシーズンの合間に行われる。恒例の壮行試合を実施する時間的な余裕はない。欧州で9月に行われる2試合が事実上の「ゲネプロ」になる。そこにどんなメンバーで臨むか。ほぼそのメンバーで本大会に臨むことになりそうだが、本番はまだその2ヶ月も先だ。しかも欧州シーズンの真っ只中である。Jリーグの場合でも、シーズンが終わった直後である。その時の調子が潜在能力と同じくらい問われるアタッカー陣の選考は、可能な限り待った方がいい。「上がり馬」を抜擢する余地を残しておく必要がある。
拍車を掛けるのがレギュレーションの変更だ。
90分なら3人。延長戦でも4人だった交代枠は90分で5人、延長戦では6人にまで拡大。登録選手の枠も23人から26人に拡大される。プレッシングサッカー全盛のご時世では、増員分はほぼそのまま攻撃陣に充てられると考えるのが自然なので、野球で言えばその時、当たっている選手を抜擢しない手はないのだ。
選手交代5人制は、W杯本大会で採用されるのはカタール大会が初となるが、2019-20シーズンの決勝トーナメントから実施された欧州チャンピオンズリーグ(CL)は、すでに3シーズンが経過した。各国国内リーグでも一部を除き2シーズンが経過した。ユーロ2020。W杯予選。東京五輪……と、交代枠5人制はいまやスタンダードとして浸透している。このほど永続的なものとして認定されることにも決まった。世の中の価値観が劇的に変化しているいまの時代に相応しい改革と言ってもいい。
そもそもはコロナ禍における選手の負担に配慮した施策だった。登録選手枠の拡大もしかり。アスリートファーストに基づく、持続可能な視点に立った変更になる。
今日的な価値基準に基づいているか否か。これはその国のトップを務める代表監督に求められているテーマでもある。筆者が森保監督是か非かと問われたとき、残念ながら非としたくなる、大きな理由の一つでもある。
決定的だったのは東京五輪の采配だ。計6試合中交代枠をフルに使い切ることができなかった試合は3試合に及んだ。招集した22人の出場時間にも著しい差があった。出る人、出ない人がハッキリした采配は、とても今日的とは言えなかった。中でも、4-2-3-1の守備的MF遠藤航、田中碧を使い詰めにする采配は、持続可能な価値観に基づく今日的な采配とは言い難かった。
「先を見越して戦うことはまだできない。世界の中で日本が勝ち上がろうとした時、1試合1試合フルで戦いながら次に向かっていくことが現実的である」とは、東京五輪後の会見で、なぜ選手をローテーションせずに戦ったのかと問われた森保監督の答弁だが、森保監督はその一方で、カタールW杯の目標をベスト8だと述べた。ほぼ中3日で行われる準々決勝までの5試合を、どのような方法で勝ち上がろうとしているのか。
この発想では難しい。持続しないと言わざるを得ない。
「先を見越して戦うことはまだできない」とは、主語を日本ではなく、森保監督自身(私は)とすれば腑に落ちる。自身が抱える非今日的な思考を、日本サッカー界のスタンダードに置き換え、旧態依然とした価値観に身を委ねようとする姿勢に、それは今日の代表監督の姿勢にあらずと忠告したくなる。
森保監督は、東京五輪で三笘薫をわずか69分間しか起用していない。出場時間に基づけば、アタッカー陣の序列は、久保建英、堂安律、林大地、相馬勇気、上田綺世、三好康児、三笘、前田大然の順だった。三笘は下位から2番目で、五輪のつい2、3ヶ月前までは、有力な候補でさえなかった。22人の登録枠にギリギリ最後に飛び込んだという感じだった。
森保監督の三笘評が一転して上昇したのは五輪後、海外組に転じた以降になる。海外に移籍するや突如、技量を上げたわけではないにもかかわらず、だ。選手の善し悪しを海外組か否かという第3者が定めた物差しに照らそうとする姿勢、すなわち森保監督のそうした選手を見る目に対し、疑念を抱くことになった。
上記の通り、東京五輪の出場時間に照らせば、エースアタッカーは久保建英になる。森保監督の久保評はつい最近まで高かった。昨秋のW杯最終予選では、4-2-3-1の1トップ下に鎌田大地に代えて久保を据えたほどだ。さらに4-2-3-1から4-3-3に布陣を変えると、鎌田を招集外とした。ところが鎌田がフランクフルトの一員としてヨーロッパリーグを制すると、再び代表に招集。今月行われた4試合で計195分ピッチに立たせている。
ちなみに、アタッカー陣で最も出場時間が多かったのは三笘の209分で、鎌田は2番手になるが、一方で久保は128分の出場に終わった。それぞれの関係は気がつけば入れ替わっていた。定見がないとはこのことである。
選手交代枠が2人から3人になって初めて開催されたW杯は、1998年フランスW杯だった。この時、レギュレーションの変更を最も有効に活用したのが、オランダのフース・ヒディンク監督で、ベンチに下げる選手と異なるポジションの選手を投入し、場面転換を図ろうとする戦術的交代は、画期的な戦術として、一世を風靡することになった。W杯という短期集中トーナメントとの相性のよさも鮮明になった。
その交代枠が3人から5人に増える今回、代表監督に問われる能力は明白だ。選手を有効に使い回す能力である。幸い日本のアタッカー陣は今回、粒ぞろいだ。10段階で8以上のCL級の選手はいないが、6、7の選手は多くいる。日本の生命線はズバリ監督采配になる。過去のW杯の比ではない。ところが森保監督は、そうした番狂わせを狙う上で必要とされる力量を、就任以来、披露することができずにいる。
言葉にも物足りなさを覚える。オリジナリティに富んだ「自分の言葉」を持ち合わせていない点では、故イビチャ・オシムと対極の関係にある。独自の表現や言い回しはないに等しい。全国のサッカーファンおよび、競技者を惹きつける、メッセージ性のある日本語をいまだ発することができずにいる。
魅力的な指導者に見えてこないのだ。発信力、カリスマ性をここまで欠く代表監督も珍しい。日本サッカーのあるべき姿を提示しようとする気概に欠けるのだ。
いま森保監督に否定的な意見を述べるメディアは多くない。ブラジルに0-1で敗れれば、惜敗を強調し、チュニジアに0-3で完敗しても、その采配等に特別、苦言を呈すわけでもない。他方、選手のことは、当落線上にいるのは誰だとか、積極的に評価しようとする。選手は弱者で監督は強者という代表チームの本質的な構図を忘れ、弱者ばかりを裁こうとする。
順序を間違えた報道が目立つ。選手個々の差よりはるかに重大な監督問題に、踏み込もうとはしない。長いものに巻かれたがっているように見える。
代表監督はこのままでいいのか。森保監督でカタールW杯を戦うことに異議はないのか。改めていま、疑問を投げかけずにはいられないのである。