脳死判定はどのように行われるのか? 人の死と脳死と臓器移植について
脳死状態にされる?
先日、作家の百田尚樹さんが、自身のTwitterで「大きな声では言えませんが、臓器移植希望者の場合、救急治療で頑張れば助かる可能性があっても、治療を打ち切って脳死状態にされて臓器を取られる場合があります。」と発信し、医療従事者を中心に反感を買う出来事がありました。このTweetの翌日、百田氏は「誤解を招く表現でした。救急医療の現場で働く医療関係者に失礼な表現だったことを謝罪します。」と謝罪しておりますが、どうも脳死の判定と臓器移植について、そもそも誤解されているのかもしれないと思われました。免許証などの裏には臓器提供の意思表示ができるようになっていますが、どんなプロセスで脳死の判断がなされ、どんなプロセスで臓器移植となるのかはあまり知られていないのかもしれません。今回は、脳死と臓器移植について書いてみます。
死とは?いつから死か?
実は、日本の法律には死の定義は書かれておりません。法律で「こうなったら死亡」と決められているわけではなく、医師が死亡していると判断すれば、死亡していることになります。死亡診断するための診察にも決められたやり方はありません。
死というのは、生命がない状態です。医学が発展し、人間は生命活動が営めなくなるような変化が起こっても、蘇生を施してなんとかなることも増えてきました。心臓が止まっても再開させることができるようになり、呼吸が止まっても人工的に呼吸させることができます。ではどんな場合をもって死亡と考えるのでしょうか。
死亡診断というのは本当に難しいもので、映画『ターミネーター』や『ターミネーター2』のラストシーンみたいに、ある一点で不可逆な転機を得たと誰が見ても明らかな場合もあれば、死に向かう変化がだんだん進む場合もあります。心肺蘇生の際などはよりそれを実感します。蘇生を中断したときの心電図波形がPEA(無脈性電気活動:心臓は脈を打てるほど動いていないけど電気活動はある状態)であったりすると、死亡とするには躊躇する気持ちも芽生えます。しかし、心停止であることは確かで、生命活動が低下していく変化に対し、どうあがいても不可逆な変化だと判断された時点をもって死亡としているのが現状だと思います。連続する変化ですから、線引きはある意味恣意的になります。医師の判断基準次第と言えます。
1981年に、米国大統領委員会報告書と米国統一死亡判定法で、「心肺機能の不可逆的停止か、脳幹を含む脳機能全体の不可逆的停止の状態になった個人は死んでいる」とされました。この定義は、日本も含め、多くの国でコンセンサスが得られているように思います。ただ、いつ不可逆になったのかというのは明確には決めがたいので、脳死を除く多くの場合は、死の三徴(心停止、呼吸停止、瞳孔散大)を確認できた時点をもって、死亡と診断していると思われます。
脳死とは
先述の死の定義の後半部分、「脳幹を含む脳機能全体の不可逆的停止の状態になった」ものが脳死と捉えられており、多くの国で人の死と認識されています。日本では、死の定義は曖昧ですが、脳死については臓器移植法(臓器の移植に関する法律)で記述されています。
要約します。脳死とは脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止することで、脳死判定は厚生労働省令で定められた方法(以下の図)で行い、十分な知識及び経験を有する二人以上の医師の判断の一致を持ってなされるということです。なお、臓器を摘出したり、移植術を行ったりする医師とは別な医師が脳死判定をしなければならないとされています。さらに、脳死判定は、本人に臓器移植をする意思表明があり家族も同意している場合か、本人の臓器移植を拒む意思が確認できないが家族は臓器の摘出に同意している場合のみ行われます。臓器摘出しないならば脳死判定は行わないということです。
脳死判定するかどうかも慎重に
脳死判定するということは、臓器移植が前提となります。脳死と混同されがちな状況に、いわゆる植物状態(大脳の機能が損なわれ、意識が無い状態だが、脳幹や小脳の機能は残っており、自発呼吸などの生命活動が見られる)がありますが、これは脳死とは異なります。植物状態であれば人工呼吸無しに生きられるかもしれませんが、脳死は不可能です。脳死はいつ心停止となってもおかしくないくらいの状態です。最大限の努力をしてギリギリ生命維持をしている状況なのです。
これらの状態に陥るのは心停止後や頭蓋内出血が多いでしょうか。かなり回復は難しいなと思わされることも多いのですが、どうにか救命できるよう、そして社会復帰できるようにと全力で治療を行っています。それでも、やはり治療が届かない、不本意な結果になってしまう場合というのは有ります。治療がうまくいっているのか、それともそうではないのかということも客観的に評価しなくてはなりません。治療を行っても意識の改善が見られない場合には、生命活動がどこまで見られるのかを検討することになります。そして、今後の見通しはかなり厳しい、もしかしたら脳死に近いのではないかと考える場合には、現実に脳死の可能性を視野に入れ、次の項目を冷静に確認します。
- 何らかの組織の構造的または形態的な異常に伴う深昏睡か
- 自発呼吸が生じていないか
- 原疾患が確実に診断されているか
- 行いうるすべての適切な治療を行なっても回復の可能性がないか
- 瞳孔が散大し、脳幹反射が消失し、平坦脳波となっているか
すべての項目について否定する要素がなければ、この事実を共有するために、我々は多職種カンファレンスを開催します。できる治療はないかということに関しても、しっかり話し合います。その上で、法的な脳死判定に準ずる方法で診察をして、脳死と判断されてもおかしくない状況であるという証拠を揃え、診療に関わる多くの人のコンセンサスを得ます。否定的な意見が出なければ、その患者さんは「脳死とされうる状態」と判断されます。ここで初めて、患者さんの家族に臓器提供の機会があること、移植を希望される場合には脳死判定を行う必要がある旨を正式にお伝えしています(事前に可能性の一つとして臓器提供の意思があったかどうかを尋ねることはありますが…)。百田氏のおっしゃった「臓器移植希望者の場合、救急治療で頑張れば助かる可能性があっても、治療を打ち切って脳死状態にされて臓器を取られる場合があります。」というのは、全く実態に促していません。少なくとも、脳死状態にさせることは我々にはできませんし、治療を打ち切ったら心停止してしまうので、事実に反するのです。
臓器移植は誰のためか
我々が移植の可能性を検討するのは、あくまでも患者さん本人の意思を尊重するためです。もちろん、生命維持、社会復帰が大きな目的であることはいうまでもないのですが、それがかなわなくなった時も最大限本人の意思を尊重したいのです。自分の死後に臓器を「あげる権利」も「あげない権利」も有りますし、また何らかの疾患などで臓器不全を抱えた時に、臓器を「もらう権利」も「もらわない権利」も有ります。すべて尊重されるべき大事な権利ですが、一番は目の前の患者さんの権利を守りたいと思っています。臓器移植が増えても自分たちに何かインセンティブがつくわけでは有りませんし、むしろ様々な会議や委員会を通して診療時間以外にも多大な時間を使うことになります。誤解を招く表現との謝罪でしたが、どのように理解すれば良かったのかモヤモヤは残ったままです。
ぜひ、この機会に正しく臓器移植の制度を知っていただければと思います。正しい情報は、臓器移植ネットワークのホームページにまとめられています。誤解なく、多くの人に伝われば幸いです。