ある育成牧場が3・11の東日本大震災から復興出来た理由とは……
未曾有の震災から10年
3月11日、東日本大震災から丁度10年となる日を迎えた。
あの日を境に体感出来る地震は1・5倍も増えたと言われる。今年も2月13日に福島県沖を震源とするマグニチュード7・3の地震に見舞われた。それは福島県で震度6強を観測するほどで、福島競馬場も大きな被害を受け、春の開催が新潟競馬場に振り分けられる事になった。
それ以上に被害の大きかった東日本大震災の際の福島競馬場は、1年以上にわたり開催出来なかった。当然、近隣の牧場など、競馬関係者も大きな損害を受けていた。
現在は押しも押されもしない大育成牧場となった吉澤ステーブルの代表、吉澤克己を最初に取材したのはまさにその震災の直後。彼も自然の脅威の驚異の被害者だった。
馬と無縁の家庭から育成牧場を立ち上げるまでに
1962年11月、札幌で生まれた吉澤。馬とは無縁の家庭で育ったが、高校で馬術部に入部するとすぐに虜になった。それまで自分でも気付かなかった才能を開花し、3年生の時には国体の団体戦で優勝。大学からも声がかかり、専修大学に入学すると馬術部で「お尻から血が出るくらい馬に乗る生活」を続けた。
卒業後は乗馬クラブでインストラクターをしたが、後に自ら飲食関係の事業を興した。しかし、高校以来その人生のほとんどを馬に捧げてきた人間がこの世界に戻って来るのはある意味、必然だった。共同馬主クラブの事務を経て、91年からは牧場で勤務。「ここで初めて競走馬に関わる」(吉澤)と、95年には自ら有限会社吉澤ステーブルを立ち上げた。
「育成牧場をやりたいという気持ちは以前からありました。牧場で働いているうちにその気持ちが強くなり、一念発起して始めました」
美浦で開業する藤原辰雄や伊藤圭三の助けもあって軌道に乗ると、99年にはウメノファイバーがオークス(GⅠ)を勝ち、2002年にはタニノギムレットが日本ダービー(GⅠ)を優勝。瞬く間に脚光を浴び、入厩希望者が続出。その間、福島に吉澤ステーブル福島分場を構えるなど、馬房棟を増築し、09年には株式会社組織にまで成長を遂げた。
大震災が直撃
順風満帆と思えたそんな時、未曾有の大災害に襲われた。11年3月11日に起こった東日本大震災は吉澤ステーブル福島分場を直撃した。その日、北海道にいた吉澤は取るモノも取らず、福島へ飛ぶと、惨状を目の当たりにした。
「坂路は崩壊し、牧場内はガスが止まっていました。従業員の中には家が倒壊した者もいて、右往左往していると、分場から70キロと離れていない福島原発で放射能漏れというニュースが流れてきました」
まさに“泣きっ面に蜂”といった状況だったが、牧場のトップとして泣いている時間はなかった。福島分場にいた30人のスタッフと100頭の馬を守るべく、様々な決断を迫られた。
「ひとまず全員、全馬を全国に振り分けました」
道路も分断され、ガソリンの供給もままならない中でそれが出来たのは「助けてくれる大勢の人がいたから」と吉澤は述懐する。
「先日、引退された石坂正調教師が受け入れてくれる牧場を見つけてくれたり、不動産屋が敷金、礼金を免除してくれたり……。町営住宅を提供してくれる市町村もあったし『放射能を考えると協力出来ない』と言っていた北海道の知人がすぐその翌日には福島に駆けつけてくれたなんて事もありました」
第一報を聞いて北海道から駆けつけた吉澤が、再び北海道に戻れたのは5月に入ってから。震災から実に2ケ月以上が経過してからだった。
あれから10年
現在は北海道の本場の他に東西トレセン近隣にEAST、WESTと名付けた分場を持つ他、研修センターも完備。ゴールドシップやエポカドーロなども育成し、分場の利用馬としてはジャスタウェイやレッツゴードンキ、ケイアイノーテックなど、数々のGⅠ馬を世に送り込んだ。
また、吉澤ホールディングス名義の馬主としてマスターフェンサーがアメリカのケンタッキーダービー(GⅠ)に挑戦(19年)。6着に善戦すると、続くベルモントS(GⅠ)でも5着に健闘。現在4歳のアメリカンシードは昨年の皐月賞(GⅠ)に出走。自身の所有馬としては初めてクラシックに名を連ねると、その後はダート路線で全てぶっち切りの3連勝。今後が楽しみな逸材だが、これはまた別のストーリーなので、機をみて紹介させていただこう。
さて、震災を乗り越えた吉澤ステーブルは現在、3カ所に計約500頭の馬を管理し、160人以上の従業員が汗を流すまでに成長してみせた。吉澤には2人の娘がいるが、震災当時20歳の学生だった長女は現在、吉澤ステーブルWESTで、次女は研修センターで働き、吉澤ステーブルの両輪をなしている。あれから10年が過ぎたわけだが、このあとの10年がまたどうなるのか。楽しみに見守りたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)
今もまだ震災が残した傷と戦っている人は数多くいるでしょう。被災者の皆様が一日も早く立ち直れるよう、祈っております。