伝説の世界チャンプ、マイケル・カルバハルが語った井上尚弥
伝説のチャンピオンは井上尚弥をどう評価するのか
アメリカの大手興行会社「TOP RANK」のプロモートで10年以上現役を続けた元世界ライトフライ級チャンピオン、マイケル・カルバハル(52)。2006年に国際ボクシング殿堂入りを果たしたこの伝説の王者に、TOP RANKと契約し本格的に全米に進出する井上尚弥に関する見解を聞いた。
2月中旬、カルバハルの住むアリゾナ州フィニックスを訪ねた。
フィニックスのスカイハーバー国際空港から、車で西に10分。ホームレスがテントを並べて集団で生活するエリアを抜けると、赤土のヒスパニックの住居が立ち並ぶ。当地の一角に、教会のような外観のボクシングジムがある。それが私の訪問先であった。
フィニックス近郊は、ベースボールのスプリングキャンプに利用されるだけあって、東京の気温が1~2℃である初春でも、20℃近い暖かさだ。
カルバハルは1993年に自宅近くの土地を購入し、9th Street Gymを建てた。今日、そこで若い選手を育てている。私がジムに入った時、彼は腹筋運動をしていた。カルバハルは「ようこそフィニックスへ」と、10年ぶりの再会を笑顔で迎えてくれた。
10年前、カルバハルは酒に溺れていた。リングで稼いだカネを使い果たし、無一文になる人間が多いなか、彼はファイトマネーのほとんどを銀行に預け、堅実に生きていた。だが、自身のトレーナーを務めた実兄がカルバハルの知らぬ間に全てを引き出し、蕩尽してしまったのだ。
そのショックを癒やそうとカルバハルは酒に走った。兄の使い込みが明らかになったのは、2007年。当時、日本には坂田健史、内藤大助と2人の世界フライ級王者がおり、「カムバックして日本でどちらかに挑戦したい。俺のマネージャーになって試合を組んでくれ!」と言って来たこともあった。
「カネはもう諦めたよ…900万ドルくらい貯めていたんだけどさ。ただ、ヤツが犯した罪は償ってほしいと思っている。確かにお前にカムバックを頼んだよなぁ。まだ40歳だったし、そこそこは動けたからね。でも『衰えた姿をリングで晒したりはしない。チャンピオンのまま引退する』って決めてリングを降りたんだから、やるべきじゃないと考え直したんだ。
色々あったけれど、今は若い選手たちと健全に生きている。常時9人くらいのアマチュア選手が在籍し、あとはダイエットとか健康管理が目的で通って来る方たちで成り立っているよ。俺の場合は長兄だったけれど、ボクシング界には汚い人間が多い。自分を守ることも大事だな。井上尚弥も妙な輩に近付かれないことを祈るよ」
井上はこれからビッグマッチがバンバン続く
カルバハルに井上の印象を訊ねた。
「自分のスタイルを確立しているね。だからこそドネアに勝ったし、TOP RANKとの契約にも結び付いた。ボブ・アラムはベストプロモーターだよ。選手の扱い方は、間違いなくドン・キングより上だと思う。俺がなぜ、キングと数試合の契約を結んだかと言えば、当時のパウンド・フォー・パウンドで、1階級下のリカルド・ロペスと闘いたかったからさ。ロペスはずっとキングの選手だっただろう。でも、実現しなかった」
「イージーな相手との試合を組んで自信を付けさせていくケースもあるが、俺はデビュー戦で後の世界チャンプ、ウィル・グリグスビーと闘った。彼はデビュー2戦目。あの時点で我々が将来どうなるかなんて、誰にも分からなかった。アラムは、俺たちの力量を計ったんだろうな。
井上は既に3階級制覇を成し遂げているし、WBSSでも優勝している。アラムは彼をじっくりと観察した筈さ。そのうえで、『これは、日本の秘宝と呼ばれるだけのことはある』と契約したんだ。アラムが本気で“この選手をプロモートする”と決めたら、ビッグマッチがバンバン続くよ。マニー・パッキャオ(フィリピン)みたいにね」
「アジア人ボクサーがどこまでやれるか? というのはパッキャオが示したよな。誰も彼のことを知らない状態から始めて、世界中に自分を認めさせたんだから大したものさ。井上は、かなり名を売ってからの契約だから、アラムにしてみれば名のある相手、話題となる選手との対戦を組み続けるよ。統一戦はもちろん、近くの階級を見渡して、一番カネを生みそうなカードを組むさ。それがプロモーターの仕事だしね」
バンタム級でも稼げるところを見せてほしい
「本来、バンタム級(53.5kg)は世界チャンピオンであっても、それ程カネになる階級じゃない。俺の階級、ジュニアフライ(現ライトフライ)なんて、もっとそうだった。でもさ、デビューから27連勝し、IBF王座を6度防衛して、WBC同級チャンプのウンベルト・“チキータ”・ゴンザレス(メキシコ)戦がセットされた。俺たちは、3度拳を合わせたけれど、チキータとの第1戦のファイトマネーは70万ドルだったと記憶している。1年8カ月後のリターンマッチで、お互いに100万ドルを超えたんだよ。軽量級だって、いい試合をすれば稼げるんだって、俺たちが扉を開けたと自負している。
だから井上も大物を喰い続けて、バンタム級でも稼げるんだ! これだけ世界中のファンを感動させられるんだってことを見せてほしい。井上にはその可能性がある。それを分かっているからこそ、アラムも契約したんだ。間違ってもアイラン・バークレーみたいな扱われ方はしないさ。まぁ、どんなプロモーターも好き嫌いはある。その点、既に井上はアラムの御目に適っているよ」
「このところ、ボクシング界は低迷しているよね。昔は赤貧に喘ぐ少年が、『苦労させた親に家を買ってやるんだ』『有名になってやる!』ってグローブを嵌めた。そういうハートのある子が少なくなっている気がする。でも井上は、決意を持ってリングに上がっているようだな」
9th Street Gymにはシャワーが無かった。15歳、17歳といった若きアマチュア選手たちは、バスを乗り継ぎ、トレーニングにやって来る。何名かは汗でビショビショになったシャツを着替えることもなく、「ヤバい!今度のバスを逃すと45分待ちなんだ」などと口にしながら、小走りにジムを出て行った。その様子を目に、カルバハルは微笑む。そして、ポツリと言った。
「ご存知のように、俺のレコードは49勝4敗。KO勝ちは33回だった。その多くが左フック。左フックはパンチの軌道を出来るだけショートにすることが肝心だ。井上の左フック、見てみたいなぁ。彼の次のファイトは、是非、観戦したいよ」
WBA/IBFチャンピオン井上尚弥とWBO王者、ジョンリール・カシメロとの統一戦は、新型コロナウイルスの影響で延期となり、まだ見通しが立たない。しかし、9th Street Gymのティーンネイジャーも、そして井上も、次のリングに向け自分を追い込んでいる。
フィニックスの熱気と、ボクサーたちの気迫がシンクロしているかのように見えた。
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