渦中のマイナンバーカード “先進国”韓国ではどう定着した? 現地専門家「国民には面倒をかけて下さい」
今、日本で物議を醸しているマイナンバーカード。
「国民総番号制」であると同時に、これを「デジタル管理」しようというものだ。
問題は大きく分けて2つあるのではないか。まずは「政府にまとまった個人情報を管理される抵抗感」。そして「デジタル技術の不安」だ。
これについて考えるヒントを得るため、韓国で取材を行った。話を聞いたのは、韓国デジタル認証協会の初代会長イ・ギヒョク氏(チュンアン大学工学教授)。韓国のマイナンバーカード「住民登録証」について自国政府のアドバイザーも務める。
韓国はこの制度において先進国だ。1962年に「住民登録法」が制定され、10の個人情報が記された紙の身分証明書の随時携帯が義務付けられた。現在は「住民登録番号」の制度が当たり前のように普及している。17歳以上の国民は全員発給と携帯が義務。このカードのおかげで個人事業主の確定申告が不要、といった便利さもある。
イ教授に話を聞いてみると、日本とは「デジタル化」の意味がもはや違った。
韓国では現在、マイナンバーカード(住民登録証)をスマートフォンに搭載するシステム開始を控えている。早ければ2024年夏にも開始予定だ。日本では「ICチップつきのプラスチックカードを普及させるべきか」を議論しているという段階だが。
いっぽうで、日本の現状と重なる点もあった。イ教授は近年の韓国の住民登録証のシステム改革のなかで、自国の政府関係者にこうアドバイスしてきたのだという。
「国民にはわざと不便を強いるようにしてください。一気に便利にしようとしすぎてしまうと、収拾がつかなくなるので」
それは日本の今の「マイナンバー制度を本格的に定着させようとする初期段階で、銀行の口座番号と連結させようとしている点」「一気に既存の保険証を撤廃させようとしている点」などを考えさせられるものだった。
韓国では「強制」から始まった
日本と韓国は単純比較できない点がある。まずは人口が違う。日本の約1億2000万人は韓国の2倍以上。
また中央集権的な韓国と、より地方分権が進んでいる日本の状況の違いがある。韓国での住民登録証の歴史はその中央集権的な体質から始まっている。イ教授が言う。
「朴正熙大統領の独裁政権時代からです。当時の政権は権力の強さと統制の必要性を見せつける必要がありました。1962年当時の紙のカードには、徴兵を済ませたかどうか、そして特技までもが記されていました。有能な人物を平時には経済建設、有事には軍事的に活用するためです」
1968年1月12日には北朝鮮のスパイが韓国大統領官邸まで接近し、朴正熙大統領の暗殺未遂事件が起きた。こういった点からも時の政権は国民の統制管理を必要とした。
韓国の強制的という姿は決してこなれたものではない。いっぽうで日本は実は「政府の信頼度が低い」。国際政治学者の六辻彰二氏が2020年3月に記したテキスト「なぜ日本には緊急事態庁がないのか――海外との比較から」には「世界価値観調査」のある結果が引用されている。
誰が、どの党がトップなのかという点は関係ない。日本はそもそも「政府を信じない国」。そこにこの制度を定着させようとしているのだ。河野太郎デジタル相が今月12~16日の日程でフィンランド、スウェーデン、エストニアを訪問した。その際、デジタル国家の最先端を行くとされるエストニアの取り組みを視察し、こう発言した。
「(マイナンバーの)方向性に間違いはない」
的外れだ。他国のシステムが優れているか否かではない。政府は信じられていない、という前提をよりお考えになるべきなのだ。
韓国では20件以上の重大な個人情報流出事件
もちろん韓国でも全く問題がなかったわけではない。
幾多の個人情報流出事件が起きた。
イ教授によるとその発端となったのは2008年。大手オンラインショッピングモールの顧客情報1150万人分の情報が流出した。住民登録番号と紐づいた個人情報が流出したのだ。ただ当時は韓国には個人情報という観念が薄く、流出を訴訟した側も批判を浴びたのだという。
以降、KISA(韓国インターネット振興院)のデータによると少なくとも2018年までに100万人以上の個人データ流出が20件以上起きている。そういった出来事のなかでも、韓国はある方向に向かっている、とイ教授は言う。
「住民登録証の制度を弱めよう、というのではなく、むしろどうすれば上手く使うことができるのか。この発想から、新たな方向に向かっています」
イ教授は言う。「どのみち、一切のハッキングが存在しない世界というのはあり得ないわけですから。それを防ぐ方法を考えつつも前に進むということです」。
国民には面倒をかけて下さい
デジタル(モバイル)身分証明書だ。
早ければ2024年夏から導入される、スマートフォンのアプリを通じて住民登録証を示せるシステムだ。これにより、必要に応じて一部の個人情報だけを提示できるようになる。年齢確認が必要なら、生年月日だけ。住所が必要なら住所だけと。
紛失時にもすぐに再発行が可能だ。2022年1月からはすでに運転免許証がスマホで
提示できるようになっており、いよいよ「財布なしで外出可能」という時代が到来しようとしている。
セキュリティはDID(分散型ID)を採用する。中央での情報管理に依存しすぎず、ブロックチェーン技術を生かしながらそれぞれの端末での管理を行う。韓国ではこれを国家水準で初めて採用するという点から「K-DID」という言葉がメディアに登場したりもしている。
この過程でイ教授は、国内大手通信者「SKテレコム」や国内ナンバー3のポータルサイトのセキュリティ部門責任者の経験なども活かし、韓国政府のアドバイザーを務めるに至った。韓国の警察庁、人事革新庁、内閣府、造幣局などの関係者が集まった打ち合わせでこう助言したという。
「最初は国民に面倒をかけてください」
1度目の発行は、必ず面倒でも必ず役所にて対面で行うこと。
すべての機能を一度にオープンにしないこと。徐々にやること。
なぜか。
「最初に完璧に、機能をたくさん入れようとすると、後で対処するのが難しくなるからです。少しずつ機能を追加して、問題が起きた際の対処の時間を確保すべきなのです」
イ教授は「日本の政策も十分に協議されたものだと思う」と断りつつも、「マイナンバーカード普及段階でに口座番号を連結」というアイデアは間違っているように見える、という。
「繰り返しになりますが、障害が発生したときに対処できないからです。こういったプロジェクトでありがちなのが、エンジニアへの過信と、システム全体を描く人がいないという事態です。日本はそうなっていないか、確認が必要かもしれませんね」
教授によると、この制度の失敗の原因でよくあるのは、以下のようなポイントなのだという。
・主幹者の一方な進行(顧客+利用者の理解とサポート不足)
・政治的な流れなどにより立体的な状況把握ができずに意思決定を下すこと
・不適切なプロジェクト管理者と専門家の検証不足
・不明確で過度な業務推進(各自の業務範囲が確定していない状況)
韓国版マイナンバーカードが最終的に目指すもの
最後に二つの点をイ・ギヒョク教授に聞いた。韓国社会にとっての住民登録証制度とは何なのか。
「デジタル政府の根幹となり、効率性と便利さ、迅速性、合理性により短所を長所に変えました。特に新型コロナのパンデミックの時代にはワクチン接種、支援金、マスクの効率的な購買で役割を果たしました」
韓国ではこの機能が非常によく機能している。それでもだ。イ教授に対して「そもそも論」を聞いた。日本ではマイナンバーカードなしで多くの人たちがこれまで生活してきた。はたして必要なのか。なくてはならないものなのか。
「最終的には地震や台風などの災害発生時のことを考えたものでもあります。韓国では現在、指紋の情報までを織り込んだ住民登録証の発行・管理に段階的に取り組んでいますが、これは緊急事態で銀行のカードがなくても、通信が途絶えても指紋の一致で50万ウォン(約5万6000円)までを引き出せることを目指すものでもあります。日本は韓国よりも災害が多いでしょう。そういった時のためにも必要なのではないか。韓国の視点から見ると、そうも感じますね」
そういった制度、日本でもあればよいに決まっている。でもやっぱり政府に管理されるのは嫌だ。話を聞きながら、そういった感情がぬぐい切れなかったのも確かだ。マイナンバーカードの問題、「政府と国民」の距離感が問われている話でもある。