『きかんしゃトーマス』衝撃リニューアルを機に考える。機関車たちは、なぜ事故ばかり起こしていたのか?
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。
マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。
さて、今回の研究レポートは……。
皆さん、新しい『きかんしゃトーマス』はもうご覧になりましたかっ!?
ワタクシはもう、びっくり仰天しました!
『きかんしゃトーマス』の歴史は古く、絵本が出版されたのが1945年。
鉄道模型を使ったテレビ番組が始まったのは84年。
日本では90年以降、フジテレビ、テレビ東京、NHKなどいろいろなテレビ局で放送されてきた。
静岡県の大井川鐵道では、2014年からトーマス号を走らせている。
あの独特な表情の機関車たちは、日本でもおおいに浸透しているのだ。
その『きかんしゃトーマス』が、2022年の年末から大きくリニューアルした。
これまでの3DのフルCGアニメから、2D(平面)アニメに変わり、キャラたちも全体にマンガっぽくなり、飛んだり跳ねたりクルクル回ったり……と、動きが自由自在になったのだ。
毎週土曜日に放送される本編の他に、ショートアニメも配信されるようになった。
内容も、機関車たちが冒険クラブを作って洞窟探検に行ったり、大きな汽笛を鳴らせる場所を探してウロウロしたり……と、ユルイ話になった。
何よりも、リニューアル前にはやたらとケンカしていた機関車たちが、すっかり仲よくなっている!
これはもう、筆者の知っているトーマスの世界ではないっ。
とはいえ、リニューアル作品を何本も見ていると、これはこれで子どもたちに浸透していくのでは……という気がしなくもない。
トーマスに命じられた仕事を、カナ(日本から来た超特急)やディーゼルが羨ましがると、みんなでいっしょに行くことにする。
パーシーがお昼寝する場所を探していると、トーマスが機関庫まで連れていってあげる。
みんな優しくて、できるだけ相手の希望を受け入れようとするのだ。
初期の『トーマス』では、ゴードンが疲れて眠っていると、トーマスが「起きろよ怠け者!」と罵声を浴びせ、ゴードンが激怒したりしたものだが、そんなギスギスしたコミュニケーションは、もはや過去のものである。
ここ数年、国連と提携したり、SDGsやSTEAM教育の要素を取り入れたりしてきた『きかんしゃトーマス』だから、コミュニケーションのあり方も時代を反映させているのだろう。
◆なぜ事故ばっかり⁉
そう考えると、これまでのトーマス世界がモノスゴク壮絶なものに思えてきた。
トーマスたちは、不機嫌そうな表情で、自分の感情を仲間にぶつけ、やたらとモメごとを起こし、その結果とんでもないトラブルが頻出していた。
暴走したり、遅延したり、運休したり、脱線したり、池に落ちたり、家に突っ込んだり……。
そのうえで高らかに「じこはおこる」という歌を歌ったりしていたのだから、いま思えばちょっとビックリである。
公共交通機関であるにもかかわらず、彼らはなぜ事故ばかり起こしていたのか?
ここからは、かつての『トーマス』世界における事故の要因を考えてみたい。
もちろん彼らも好んで事故を起こしているわけではなく、みんな「役立つ機関車」になることを目指して頑張っていた。
それなのに事故が相次いだのは、たとえば自慢話がキッカケである。
機関車たちには車種の違いがあった。
ゴードンやジェームズは「テンダ車」で、独立した炭水車を接続している。
トーマスやパーシーは「タンク車」で、水と石炭を機関車本体に積んでいる。
前者のほうが大きくて力も強く、走行できる距離も長い。
それゆえゴードンは「俺たちは小さなタンク機関車じゃない。偉くて大型の機関車なんだ。トーマスたちが客車を集めてきたら引っ張るよ」と尊大に言い放った。
ヘンリーなど、自分のボディを雨に濡らしたくないという理由で、トンネルから出てこなかったりもした。
プライドがむき出しなのだ。
こんな話もあった。
エドワードが重いパイプをたくさん運んでいると、クレーンのついた貨車のロッキーが「手伝おうか」と声をかける。
エドワードは、それをロッキーの力自慢と受け取り、断って走り出す。
そして、腹を立てながら走ったため、スピードを出しすぎて信号に気づかず、ギリギリで急停車!
鉄パイプが線路に散乱し、そこにやってきたにゴードンがパイプに乗り上げて脱線……!
◆お互いの顔が見えない!
こんな感じで、事故の原因の多くは「感情の行き違い」だ。
そういうことなら解決の道もあるだろう。
トーマスたちには、喜怒哀楽がハッキリ伝わる表情豊かな顔がある。
あの顔でお互いにコミュニケーションに努めれば、ケンカやモメごともかなり減るのでは……と思ったが、よく考えたらダメだ!
機関車たちは、親密なコミュニケーションを取れない運命にある。
彼らの顔は、円筒形をした蒸気シリンダーの前面に、ぴったり張りついている。
この構造では、自分の真正面しか見えないだろう。
首もないから、左右や後ろを見るには、車体ごと向きを変えるほかはないが、機関車がそんなことをしたら脱線する。
彼らにとって、仲間と顔を合わせて話すのは至難の業ということだ。
トーマスたちは、並んで走りながら会話することがあった。
機関庫で横一列に並び、団欒のひとときを過ごすこともあった。
しかし、真横が見えない以上、あの場面でさえ、お互いの表情は見えていないはずなのだ。
相手が自分より少しでも後ろにいたら、自分のシリンダーの陰に隠れて相手の顔は見えない。
相手がわずかでも前にいたら、相手のシリンダーの陰になってやっぱり見えない。
ぴったり真横に並んでも、相手の顔も平面だから、鼻の頭がチラリと見えるだけ。
◆顔を見ながら話すには
このように考えれば、彼らが相手の顔を見て話せるチャンスは、走りながらすれ違う瞬間にしかないだろう。
だが、そのチャンスも活かし切れるかどうか。
トーマスとパーシーがともに時速100kmで走っていたとすれば、2人はお互いに時速200kmで接近することになる。
100m離れた地点から話し始めたとしても、待ち焦がれた友は1.8秒後にプロ野球選手のストレートより速く通り過ぎてしまう。
「やあ、パ……」で終わりであり、表情もとらえきれまい。
しかもこのケースでは、間違いなくドップラー効果が起こる。
救急車が近づいてくるときはサイレンが甲高く、遠ざかるときは低く聞こえるが、あれと同じことが起こるのだ。
時速100km同士なら、接近中は相手の声が4分の1オクターブ高くなり、すれ違うと一気に半オクターブも低くなる。
機関庫で話していたときとは、もはや別人の声に聞こえてしまうのでは……。
――かつて筆者は『きかんしゃトーマス』を見ながら、そんな心配をしたものである。
だが、やたらと張り合ったり、我を通したりする機関車たちの姿は面白かった。
盛大にプライドを発揮し、不機嫌さを隠そうともせず、やたらモメるのだが、それでもさまざまな個性の者たちがいっしょに働くのが魅力的だった。
一方、新しくなったトーマスたちは受容力が高く、競い合いをしながらも、みんな上機嫌に見える。
機関車なのに振り向いたり、クルクル回りながら跳んだり、線路を飛び移ったりと自由に動けるのだから、もうコミュニケーション面の心配もない。
どちらがいいとか悪いとかではなく、同じ『きかんしゃトーマス』でありながらここまで変わることに、称賛と感嘆の声を送るべきだろう。
いやあ、それにしても、世のなか変わってきましたなあ。