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戦略家リー・クアンユーの遺言「米中衝突を回避せよ」

木村正人在英国際ジャーナリスト

シンガポール建国の原点

「シンガポール建国の父」リー・クアンユー元首相が23日、肺炎のため死去した。91歳だった。リー・シェンロン現首相はリー・クアンユーの長男だ。米国のオバマ大統領は「歴史の巨人」に惜しみない追悼の言葉を贈った。

オバマ米大統領と会談するリー・クアンユー元首相(ホワイトハウスHPより)
オバマ米大統領と会談するリー・クアンユー元首相(ホワイトハウスHPより)

リー・クアンユーは1923年、英国の植民地支配下、中国系移民三世の息子として生まれる。母語は英語だ。英国支配の継続を信じて疑わなかったが、第二次大戦で旧日本軍によるシンガポール陥落(1942年)を目の当たりにする。

「3年半に及んだ日本の占領は私の人生にとって最も重要だ」

「それは人間の行動、人間の社会、その動機と衝動に対する強烈な洞察を私に与えてくれた。慈悲というものを徹底的に欠いた旧日本軍の占領の前にすべての社会システムが突如として崩壊するのを目撃した」(リー・クアンユー回想録より、筆者の仮訳)

戦時下のリー・クアンユーは闇市にかかわるとともに、英語力を活かして旧日本軍のプロパガンダ部門で働く。戦後、英国の大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)やケンブリッジ大で法律を学び、シンガポールに戻って労働組合の弁護士になる。

54年、シンガポール建国の大志を胸に人民行動党(PAP)を結成する。59年の選挙で勝ち、英連邦自治州の初代首相に就任。63年、マレーシア結成に参加してシンガポールは同国の1州になり、65年、マレーシアから分離独立を果たす。

米中歴代指導者の相談役

揺るぎなき自信、徹底した完璧主義とエリート支配、民主主義とは明確な一線を画す権威主義。リー・クアンユーはシンガポールの安定と開発に辣腕をふるい、通算31年間にわたって政権を担当した。

小さく、貧しい、腐敗した港湾都市シンガポールの1人当たりの国民所得は400ドル。それが今や5万4千ドルを超え、米国を追い抜いた。外資と能力主義を導入したリー・クアンユーの「開発独裁」でシンガポールはわずか1世代で世界の一流国に仲間入りした。

生前リー・クアンユーからインタビューした著作『リー・クアンユー、世界を語る』(サンマーク出版)の共著者の1人、元米国防次官補でハーバード・ケネディスクール・ベルファーセンターのグレアム・アリソン所長はこう語る。

「リー・クアンユーは、ニクソンからオバマまで歴代米大統領の相談相手になり、トウ小平から習近平まで中国の歴代指導者への助言者となってきた」

グレアム・アリソン所長(筆者撮影)
グレアム・アリソン所長(筆者撮影)

元米国務長官で不世出の戦略家ヘンリー・キッシンジャーをして「リー・クアンユーほどの戦略的思考の持ち主はいない」と言わしめた現実主義者だ。

民主主義はゴールではあっても、その過程で社会の不安定化と混乱をもたらす危険性をはらんでいる。エリートによるシンガポール型の開発独裁をモデルにと、中国、ロシア、湾岸諸国がリー・クアンユーの前に列をなした。

中国の国家資本主義はシンガポールに原型を見出すことができる。

シンガポールは今、米海軍最新鋭艦の配備先となり、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加。その一方で、アジアの人民元取引の拠点になることを目指している。

リー・クアンユーへの質問

ソ連崩壊で唯一の超大国となり、一国主義に走った米国はいま、中国に猛烈に追い上げられ、苦悩している。米国を超えるかもしれないライバルの出現は米国にとっては初めてだからだ。

アリソン所長はその答えを探り出そうと、リー・クアンユーにさまざまな質問をぶつけている。

質問1 中国の現在の指導者は近い将来、アジアにおける卓越したパワーとしての米国に取って代わることを真剣に考えていますか。

質問2 中国経済は米国の成長率の3倍に相当する経済成長を続け、今後15年の間に世界1の経済大国になるでしょうか。

質問3 大国となった中国は日本やドイツの例にならい、第二次大戦後、米国が構築した経済と安全保障の秩序に応じた地位に甘んじるでしょうか。

質問4 米国の国家情報会議が4年ごとにまとめている報告書「世界潮流(グローバル・トレンド)2030」や新興国BRICsの言葉をつくったゴールドマン・サックスのジム・オニール氏が予測するように、アジアの経済競争においてインドは中国のライバルになり、やがて追い越すことはあるのでしょうか。

質問5 中国の台頭は世界のパワー・バランスをひっくり返すでしょうか。

リー・クアンユーの答え

リー・クアンユーの答えはこうである。

答え1「もちろんだ。どうして、そうでないのか。運命という、中国の覚醒した意識が圧倒的な原動力になっている。中国の指導者はアジアと世界でナンバーワンになることを真剣に考えている」

答え2「その通りだ」

答え3「絶対にあり得ない。中華の言葉が表すように、自らを世界の中央に位置すると考えている。中国は中国であることを望んでいる。欧米の名誉会員に甘んじるつもりは毛頭ない」

答え4「違う。インドと中国を同列に語ってはいけない。インドは本当の意味で1つの国家ではない。英国がつくった鉄道で結ばれた32の別々の国々だ。ネルーの時代はインドの未来について楽観的だったが、窮屈な官僚主義、硬直したカースト制度、リーダーシップの欠如に引きずられている」

答え5「もちろんだ」

リー・クアンユーは「21世紀は米中両国が太平洋における優位を争う時代になる」と予測する。

16世紀以降、世界のパワー・バランスが急激に変化し、覇権が争われた例は15回あるが、11回のケースで戦争に突入した。

中国次世代への懸念

リー・クアンユーの懸念は次世代の中国指導者に向けられる。

これまでの中国の指導者は、第二次大戦、大躍進政策の失敗、飢餓、文化大革命の狂気を見てきた。この時代を知る指導者はトウ小平の「韜光養晦(とうこうようかい、時が来るまで力をたくわえること)」の戒めを守り、軍事面で米国に挑戦するのは避けるだろう。

中国は米国の圧倒的な軍事的優位を今後20~30年はひっくり返せないこと、旧ソ連が軍事費を膨張させ、経済を破綻させてしまったことを十分に理解している。米中間で小競り合いはあっても、中国は経済と技術を発展させることに集中するとリー・クアンユーは分析する。

しかし、中国の次世代は平和と成長だけを享受し、中国の悲惨な過去を知らない。次世代が中国の強さを過信して米国を圧倒できると思い込んだとき、米中両国が戦争に突入する危険性は2割ぐらいあるという。

帝国として振る舞い始めた中国

アジアにおける中国の外交政策は自己中心的になっている。シンガポールを含む近隣諸国は「中国は帝国の威光を取り戻したいと考え、近隣諸国に朝貢国としてふるまうことを求めるという誤った考えを持っているのかもしれない」と心配している。

南シナ海と東シナ海で領土問題を抱えるフィリピンと日本に対し中国は経済的な圧力をかけている。アリソン所長によると、2012年の対中輸出額は日本の場合、20%減、フィリピンは16%減った。

リー・クアンユーは「こうしたことは将来、起きることを予言している。しかし、中国の指導者はアジアを支配するのは不可能であることを知るべきだ」と警告する。米国も欧州も日本もインドも東南アジア諸国も国力があるからだ。

米国は衰退しない。個人主義、自由競争、能力主義が生み出すイノベーションが必ず米国を復活させるとリー・クアンユーは予測する。米国は中国の台頭を止めることはできない。また、米国がアジアから撤退するとは考えられない。

21世紀、米国は中国との共存を模索せざるを得ない。米中の衝突を避けるためには、両国が互いに太平洋で成長と繁栄を許容し合うしかないというのがリー・クアンユーの遺言だ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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