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子どもたちに自信をもたせる学校

前屋毅フリージャーナリスト

長野県伊那市立伊那小学校の子どもたちは自信のある顔をしている。

伊那小の授業を参観し、一緒になった参観者に感想を聞いてみたら、「子どもたちが自信をもって教師と接している」という答が戻ってきた。「まさしく」と、わたしはおもった。

ある学習塾の関係者が、「子どもたちに自信を失わせるようなことを、わざわざやっている」と批判的に言ったのを聞いたことがある。学校で行われているテストのことだ。テストの成績が悪いと、「どうして間違えたの?」「次は、もっと、がんばりましょう」といったたぐいのことしか教員はいわない。これでは、「あなたはダメだ」といっているにすぎない。間違えたことで、いちばんがっかりしている子どもである。その子に向かって、ダメ押ししているケースが学校では多すぎるというのだ。

これでは、子どもたちは自信をもてない。ダメ押しばかりされて、心のどこかでビクビクしている。これでは育てるどころか、潰してしまっているのと同じことだ。

しかし、伊那小の子どもたちは自信をもっている。強がっていたり、反抗的だったりするような自信ではない。それは、内からにじみ出てくる自信である。

参観したのは、6年生の「連凧づくり」がテーマの「総合活動」の授業だった。1本の糸で空に舞う凧を次から次につなげていくのが連凧だ。

そうした授業だと、凧のキットを子どもに与えるとか、材料を与えて教員が設計図のようなものを示して子どもたちにつくらせる、といったかたちになりがちだ。しかし伊那小の場合、子どもたちは一から考えていく。どうやれば、ひとつでも多くがつながって上がる凧になるのか、それこそ手探りで考えて、実践していくのだ。

参観したときは、このテーマに取り組んでから1年以上が過ぎていた。だから、子どもたちは黙々と作業をしていた。「慣れている」というのではなく、一人ひとりが自分自身の作業に確信をもって取り組んでいるというか、ただ作業しているというのとは違うものを、わたしは感じていた。それをどう表現したらいいのか、わたしは参観しながら考えつづけていた。それで同じ参観者に質問してみたら、「自信」という答が戻ってきたのだ。

伊那小の子どもたちの自信は、自分で考え、そして結果を導き出してきたことから生まれている。与えられた知識ではない、自分自身で取得した知識なのだ。そこにたどりつくまでに、教員は「ああしろ」とか「それはダメだ」という上から目線のこと、いっさい言わない。子どもたちの視線にあわせて、子どもたちが自らの力で学ぶ手助けだけを心がける。

自ら学ぶ力を育てているのだ。それを日本全国の学校でやろうとしたことがある。「総合的な学習の時間」である。しかし、その現状は惨憺たるものだ。

伊那小と同じように総合的な学習の時間が全国の学校で実践されていれば、日本中の学校に自信に満ちた子どもたちの姿があふれていたことだろう。教育の大きな目的は、子どもたちに自信をもたせることのはずだ。けっして、自信を潰すようなことではない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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