田中邦衛さんが『北の国から』に遺した、忘れられない「名ゼリフ」たち
俳優・田中邦衛さんの訃報が伝えられました。
田中さんと聞いて、多くの人が思い浮かべたのは、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の主人公、黒板五郎ではないでしょうか。
奇しくも今年は、『北の国から』の放送開始から、ちょうど40年に当たります。
『北の国から』は1981年に始まり、2002年まで約20年にわたって放送されました。
田中邦衛の黒板五郎か、黒板五郎の田中邦衛か。それくらい両者は一体化していました。
田中さんが亡くなったのは事実だとしても、今も五郎さんとして、富良野のどこかを歩いているような気がします。
『北の国から』全作品から選んだ、田中邦衛さんの「名ゼリフ」
脚本家・倉本聰さんが書き続けた『北の国から』。
田中さんは、セリフに命を吹き込み、黒板五郎をまるで実在の人物のように演じ切ってくれたのです。
追悼の意味で、『北の国から』全作品の中から選んだ、田中邦衛さんが遺した忘れられない「名ゼリフ」を、振り返ってみます。
あの佇まいと笑顔、そしてあの声と口調を思い出しながら・・・。
<生きること>
「夜になったら眠るンです」(『北の国から』)
「人が信じようと信じまいと君が見たものは信じればいい」(同)
「体に関しては、義理なンか忘れろ」(同)
「もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです」(同)
<親と子>
「(ギラリと見る)子どもがまだ食ってる途中でしょうが!!」(『北の国から‘84夏』)
「疲れたらいつでも帰ってこい。息がつまったらいつでも帰ってこい。くにへ帰ることは恥ずかしいことじゃない。お前が帰る部屋はずっとあけとく。布団もいつも使えるようにしとく」(『北の国から‘87初恋』)
「つまり――世間的にはよくないかもしれんが少なくともオレには――父さんに対しては――申し訳ないなンて思うことないから。何をしようとおれは味方だから」(『北の国から‘95秘密』)
<仕事とは>
「(ほがらかに)お金があったら苦労しませんよ。お金を使わずに何とかしてはじめて、男の仕事っていえるンじゃないですか」(『北の国から』)
「人にはそれぞれいろんな生き方がある。それぞれがそれぞれ一生けん命、生きるために必死に仕事をしている。人には上下の格なンてない。職業にも格なンてない。そういう考えは父さん許さん」(同)
「(明るく)人に喜んでもらえるってことは純、金じゃ買えない。うン。金じゃ買えない」(『北の国から‘98時代』)
<社会とは>
「じゅうぶん使えるのに新しいものが出ると――、流行におくれると捨ててしまうから」(『北の国から』)
「暖房やクーラーをがんがんつけた部屋でエネルギー問題偉い人論じてる。ククッ。あれ変だよね。そう思いません? ククッ。ナアンチャッテ」(『北の国から‘89帰郷』)
「おかしいっていやお前、まだ食えるもンを捨てるほうがよっぽどおかしいと――思いません?」(『北の国から‘95秘密』)
<再び、生きること>
「金があったら金で解決する。金がなかったら――智恵だけが頼りだ。智恵と――、自分の――、出せるパワーと」(『北の国から‘92旅立ち』)
「お前の汚れは石鹸で落ちる。けど石鹸で落ちない汚れってもンもある。人間少し長くやってりゃ、そういう汚れはどうしたってついてくる」(『北の国から‘95秘密』)
「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」(『北の国から‘98時代』)
「金なんか望むな。倖せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度に充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」(『北の国から2002遺言』)
――俳優・田中邦衛さん、2021年3月24日没。享年88。
合掌。