墨絵の作画で短編小説を長編に。斬新な大人のアニメーション「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」の世界
アヌシーやザグレブをはじめ世界的なアニメーション映画祭のコンペティション部門に選出され、高い評価を得た長編アニメーション[
「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」は、あまりこう表したくはないが、ひと言で言うならば『大人のアニメーション』だ。というのも、作品のインスピレーションの源となっているのは、レイモンド・カーヴァーによる知られざる傑作短編「シェフの家」。全編が墨絵によって作画され、登場する人物もまた一般的なアニメとは一線を引き、過度にデフォルメされたりキャラクター化されていない。離婚した元夫婦を主人公に成熟した大人の物語が語られ、その背景には1995年に実際にあったカナダ・ケベック州の独立住民投票が忍ばせてある。
今まで見たことのないアニメ手法で大人の男女の物語を作り上げたカナダの新鋭、フェリックス・デュフール=ラペリエール監督に話を訊いた。
はじめに物語の背景となり、ひとつのキーとなっている1995年のケベック州の独立住民投票について。当時、まだ監督は10代に入ったころ、この事実は受けとめていたという。
「独立投票のことは、よく覚えています。わたし自身の家庭はどちらかというと独立派を肯定する立場でした。だから、映画では独立派が勝つことになりますが、実際は反対派が勝ったので、両親らが大泣きしていて、悲劇的なドラマとして記憶にインプットされています。
ただ、当時のわたし自身はまだ若かった。だから、それよりも友だちと一緒に遊んだりすることのほうが楽しいわけで、政治にはほとんど興味はありませんでした。だから、そのときの家族との間には少し距離を感じていました。
この少しの溝が今回の作品を作った理由でもあります。当時は、何もわかっていなかったのですが、1995年の独立住民投票はケベックの政治および社会を考える上でひじょうに重要かつ大きな転換点でした。そのことが今になってようやくわかって。今一度振り返ってみたいと思ったんです。そのことがこの作品を作ろうと思った大きな動機になったことは間違いありません」
レイモンド・カーヴァーの小説がケベックの独立住民投票と結びつく
監督自身、当時はこんなことを考えていたという。
「思春期でいろいろとフラストレーションを抱えていたころで。郊外の小さな街で暮らしていたので、へんな話、悪ガキでした(苦笑)。誰にも見つからず、ちょっと悪いことができるところがいくらでもできるような環境でしたから。
ただ、逆を言えば何もないことで悶々とした日々を過ごしていて、自分の中にあるパワーを発散する場所もありませんでした。自分が何を求めているのかさえわからなかった。そんな僕を救ってくれたのは、パンク・ミュージック。パンクが、自分の孤独な気持ち、社会や大人に対する怒りや反抗のはけ口になってくれて、そこから人生が変わっていきました」
そうしたケベックの独立住民投票への自分への意識。それがレイモンド・カーヴァーの短編と結びつく。舞台は、独立の気運が高まり住民投票を迎える1990年代のカナダ・ケベック州へと移しているが、全体のストーリーは、カーヴァーの20ページの短編の大筋と変えていない。はたして、この短編との出合いが独立住民投票のことと結びついたのだろうか。それとも独立住民投票を描くことを前提に原作を探していて出合ったのがカーヴァーの短編だったのだろうか?
「短編との出合いからスタートしたのが正しいと思います。ジョゼフとエマという別れた中年の男女が主人公ですけど、彼らは喜びも悲しみも人生で味わってきた。人生のままならなさも、やりきれなさもわかっています。
ジョゼフは運命論者で、ある種、もう自分の未来はない。人生をどこかで諦めている。一方で、エマは希望を失っていない。ただ、その希望は華やかなものではなく、現実的で地に足のついたことに基づくもの。そこに自分なりの未来を見出している。この先の人生を悲観していない。
こうした違った性格や思考、性質である2人が対話をする。この2人の言葉や考えを編みこむことで、ケベックの政治的状況を表すことができるのではないかと思ったのです」
20ページの短編小説を長編アニメにする試み
もとは短編小説。それを長編にするとはなかなか大胆な試みにも思えるが。
「そもそも、わたしは今回が初長編で、長編の脚本を書くことも初めて。どう書けばいいのかよくわかりませんでした。それで、おそらく、かなりかわったやり方だと思うのですが、まず、3人の登場人物、ジョゼフ、エマ、息子のユリス、それぞれのモノローグを書くことにしました。
その詳細なモノローグを書き終え、そのひとつひとつの事項をきちんと組み合わせていくと、ひとつの大きな形になりました。
わたしは長編映画において、必ずしも直線的な語り、ひとつの物語を形作るエピソードの連続性は必要ではないと思っています。ただ、長編アニメーションを作るとなると、資金集めが必要になってくる。その中で、説明するとき、どういう物語なのかがわかることが必要とされてくる。ただ、そこに縛られてしまうと、自由な感性と感覚が失われてしまう。
そういう点で苦労はしましたけど、幸運にもわたしは今回、直線的な物語ではない形で長編アニメーションを作ることを楽しめましたし、短編小説から長編の脚本を作るというチャレンジにも挑むことができました」
登場人物の3人にはわたし自身の多面性が投影されているかもしれない
物語は、アルコール依存症で詩人のジョゼフが別れた妻のエマとかつて過ごした思い出の場所がある街<ヴィル・ヌーヴ>へ。そこでエマを呼び寄せ、息子のユリスとの関係を含め、壊れた関係の修復を図る。ただ、そうはうまく時間が巻き戻せるはずもない。3人は絶望と希望、過去と未来、家族と個人の間をさ迷うことになる。
それぞれの人物について監督はこう語る。
「ジョゼフについて、わたし自身がすごく考えたのは、人は何かしらダークサイドがある。その負のエネルギーはときに、自らが生きるエネルギーになることもある。彼は確かに過去の呪縛にとらわれて、生きる気力を失いつつある。ただ、そういう人間であっても、何か生きる手ごたえをつかむことができる瞬間があるのではないか。そうした想いを彼には込めたところがあります。
元妻のエマはジョゼフとは真逆で、ポジティブなパワーに溢れている。目指すところも明晰で穏やかに生きている。でも、その中でも壊れやすく、いつ倒れてもおかしくない瞬間がないわけではない。
そして、息子のユリスは断ち切れない父との関係、自らのアイデンティティーなどの間で揺れ動いている。
実は、妻に言われたのですが、3人を合わせて、あなた自身の中に内包された多面性を表しているんじゃないと。たぶん、それぞれにわたし自身の考えや心の葛藤がいろいろな形で投影されている気がします」
父と子、そして世代間の断裂について
ジョゼフとユリスの関係では世代間の断絶が描かれる。その一方で、父から子へ継承されることがあることにも言及している。
「世代間を描くことはわたしにとってひじょうにチャレンジなことでした。わたし自身は祖父からひじょうに多くのことを学びました。祖父から得たことがわたしの物事や社会、世界の見方の基礎のようになっています。
日本もそうかもしれないですが、ケベックでも親と子で大きなギャップというか断絶は存在します。ただ、それでも、わたしはつながれるものがあるんじゃないかと思うんです。
たとえば今、インスタグラムやFacebookを見ると、友人や知人とのコミュニケーションをはかる一方で、本人を前にしてはなかなか言えない家族への愛や親への想いを語っていたりする。
こういうことを目にすると、世代や性別など関係なく、人が望むものというは変わっていない。そう思うんです。ただ、こうしたことも社会状況や歴史で断裂してしまうことがある。
このことをジョゼフとユリスの関係で描きたかったところがあります。それはまた、わたし自身の大きな考えにもつながっていて、世界は変わらないといけないところがたくさんある。もちろん悪しき慣習は変えないといけない。ただ、それとは別に、生きていくには、前の世代や親からのたとえば人としての誠意や優しさ、愛情といったことを自分自身が受け継いでいる。そういう感覚がなければ、人は生きていけないのではないかと思うんですね。変化の中でも人と人のつながりを感じることが重要ではないか。そういう想いもあって、この父子関係を描いたところがあります」
ネーション=民族、国民という単位で物事を考える必要があるのではないか
こうした個人や家族の関係性やつながり、現代人の心模様が繊細に描かれる一方で、背景に流れる独立住民投票や社会情勢は、ナショナリズムやポピュリズムの台頭、格差社会や民族間の分断など、近年の世界情勢もつながる。社会に対する問題提起を含んだ作品にもなっている。
「ポピュリズムやナショナリズムの時代に今なりつつある。その中で、わたしはネーション=民族、国民という単位で物事を考える必要があるのではないかと思っています。
そもそも政治的な欲望というのは、その国の個々の人々の欲望と何かしらつながりがあるから生じるもの。それから、あらゆる集団性というのは暴力性と危険性を孕んでいる。だからこそ、わたしたちは、それをコントロールし、そういう危うさがあることを共有しなければいけない。そして、危うい方向にいったとき、それを元に戻す術を身につけないといけない。
今のコロナ禍を見ればわかるように、ネーションの単位で何かしらの対策を講じなければならない。環境問題もそう。もちろん世界で取り組むべき問題ですが、基本は、あるエリアで生きている人たちの生活から考えることが大切になってきます。それぐらいの単位でやってこそ、変わってくると思う。
ネーションという単位でどういう未来を考えるのか、どういう生活を求めていくのか、どういう役割を世界に対して果たしていくのか?そういうことを考える時期にきているのではないでしょうか」
アニメーションは今発展段階、これからさらに発展する
この作品に込めた意味からもわかるように、作品を観ると、大人として向き合いたい題材が多く含まれている。同時に「アニメーション=子どもが観るもの」といったいまだにあるイメージが、もう変わっていることに気づかされる。
「わたし自身は、アニメーションはまだ発展段階にあると思っています。これまでは子どものものでしたけど、これからさらに大人も観る習慣ができてきて、作り手もその変化に合わせてさまざまなタイプの作品を発表して、さらに発展・進化していくのではないかと思っています。
わたし自身は、昔からアニメーションが大好きで。とりわけ短編アニメーション、ジョルジュ・シュヴィッツゲベルといったアニメーション作家に多大な影響を受けて、この道を進むことを決めました。小さな物語を無限にイメージが膨らむ世界にするというのは、そうした作家の影響で自分に生かされています。
これからも先達に負けないようアニメーションの可能性を探究していきたいと思っています」
今回のコロナ禍で、アーティストは進化を試される
今回のコロナ禍ではこんなことを考えたという。
「アーティストは進化を試されることになるかもしれません。
おそらくアニメーションの世界も、ほかの業種と同じでビジネスの面では凋落が起きるでしょう。ただ、そうなっても、アニメーションをはじめとした作家による創作作品というのは価値を持ち続けるとわたしは思っています。経済が落ち込んでいく中で、むしろ生きる力を提供するものとして今まで以上に必要とされるのではないかと思っています。
ただ、それだけに本物が求められる。それは厳しい面もありますが、アーティストにとっては自分自身の真なる力を発揮できる場になるのではないかと思っています」
「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」
監督: フェリックス・デュフール=ラペリエール
声の出演:ロベール・ラロンド、ジョアンヌ=マリー・トランブレ、テオドール・ペルラン
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
写真はすべて(C)L'unite centrale