都立高で起きた東京五輪ボラ強制問題 全員に書かせた現場だけの責任か?
2020年に行われる東京五輪・パラリンピックの都市ボランティアについて、東京都の都立高校で申込用紙が配付され、全員書いて出すように求められた事実があることがわかり、問題となっている。
(参考:五輪都市ボランティア応募 都立高担任が「全員出して」|12/21朝日新聞)
筆者もツイッター上で、申込用紙の提出を事実上強制されたという生徒の声を複数見かけたほか、都立高に子どもを通わせる友人からも「子どもが同様の証言をした」という話を聞いた。
言うまでもないことだが、本人の意思にもとづかない、すなわち強制的な奉仕活動はボランティア(自主的な活動)ではない。ボランティアといいながら、全員必ず申込用紙を出すことを求めるようなやり方は、非常に問題がある。
東京都の小池知事はこの問題について、21日に行われた定例会見のなかで「先生方が呼びかけてくださったという、その受け取り方が、そのようになったことは残念」「この先生として熱を込められたんだろうと思います」と述べている。
これに対し「現場のせいではない」とする反発の声も出ているが、筆者としては、今回の件は現場(学校長や担任)にも、東京都(教育委員会)にも、両方に問題があるのではないかと考えている。
実際のところ、こういった光景は、全国のPTA界隈でよく見かける。教育委員会やP連(自治体ごとにつくられるPTAのネットワーク組織)が講演会やイベント等を開催する際、よく「各学校(PTA)から何名出席」という「人数割り当て」を行うのだが、すると各PTAはその人数の保護者を必死でかき集め、強制動員をしてしまう。
しかし、この「割り当て」に強制の根拠はない。割り当て人数を無視して、出席者を出さないことも可能だ。事実「そうしている(出席者を出さないことがある)」というPTA会長も、最近は徐々に増えていると感じる。
もちろんなかには、割り当ての人数を出さないと「担当者や他校の保護者から嫌味を言われる」など「事実上の強制」が起きる場合も少なからずあるのだが、他方では「呼びかけたほうは本当に強制の意図がなかったのに、勝手に現場が無理やり人数をそろえてしまった」というケースも、見かけることがある。
たとえば筆者もPTA研修会等で講演依頼をいただいた際は、必ず「強制動員がないようにお願いします」と伝えているのだが、それでも当日会場で問いかけると、「動員でやむを得ず来ました」という保護者にたびたび会い、がっくりする。
話を聞くと、研修会担当者には本当に強制動員の意図がなかったのに動員が起きていることも、少なからずある。担当者は、あくまで会場のキャパシティを考えて(「各校、何名まで入れます」という意味で)「割り当て人数」を伝えたのに、各PTA内部のどこかで「必ず何人来てください」の意味に変換され、強制動員が起きてしまうのだ。その意味では、問題は「勝手に強制してしまう現場」のほうにあるといえる。
だが、こうなってしまうことは、主催者側も、ある程度予測できると思うのだ。保護者が運営するP連研修会の場合、毎年担当者が変わるので予測は難しいかもしれないが、少なくとも教育委員会は「人数割り当て」をすれば高確率で強制動員が行われることを、よく知っているはずだ。
これまで長い間ずっと、強制動員が行われることを暗黙の了解にして「人数割り当て」を行ってきたのだから、強制が起きないようにするためには、かなり念を入れて「強制ではない」と添える必要があることは、想像がつくだろう。
ある意味「パワハラ」や「忖度」と同じだ。たとえ、言っているほうにそのつもりがなくても(=強制の意図がなくても)、相手は別の受け取りをする(=強制と受け止める)ことは、往々にしてある。だから学校や教育委員会の側は、よくよく意識的でいなければいけない。
同時に、現場にも責任はあると筆者は考える。伝えられた指示の意味をよく考えて、「強制しなくていいことを、他の人(保護者や生徒)に強制しない」よう、十分注意する必要がある。PTAの保護者も、学校の先生も、気をつけたいところだ。