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ニコール悲願の役が男優のエディに。10年もの迷走で映画は完成し、アカデミー賞、日本公開へ

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『リリーのすべて』でアカデミー賞助演女優賞に輝いたアリシア・ヴィキャンデル(写真:ロイター/アフロ)

先日のアカデミー賞で、見事に助演女優賞(アリシア・ヴィキャンデル)を受賞し、間もなく日本でも公開される『リリーのすべて』。

同じく主演男優賞にノミネートされたエディ・レッドメインの名演技も話題になっているが、この役、じつは長年、ニコール・キッドマンが演じたいと思い続けていたのだ。

性を超えた演技に挑みたかったニコール

エディは男性で、ニコールは女性

役は、リリー・エルベという実在の人物だ。

1920年代、デンマーク人のアイナー・ヴェイナーという画家が世界で初とされる性別移行手術を受け、生物学上の男性から、実際の心と一致する女性になろうとした物語。つまり、男優でも、女優でも演じることができるキャラクターなのである。

ニコール・キッドマンが、アイナー/リリーを描いた原作に惚れ込み、映画化を希望したのは、今から約10年前のこと。自らプロデューサーとしても名乗りを上げ、ぜがひでもリリー役を演じようと画策した。ニコールの身長は180cmといわれているので、たしかに男性を演じることはできそうだ。しかも2003年に、彼女は『めぐりあう時間たち』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したばかり。同作で演じたヴァージニア・ウルフもジェンダー(性)の問題に揺れ動く役どころで、ニコールは、さらに困難ともいえるアイナー→リリーという性の移行にチャレンジしたかったのだろう。

この物語はリリーを主人公にしながらも、彼女を支えた妻の心情も胸を締めつける(それゆえに今年のアカデミー賞助演女優賞を導いた)。当時、ニコールの相手役のオファーを受けたのは、シャーリーズ・セロンだった。ニコールとシャーリーズ。両者とも、その時点でオスカー受賞者。最高のカップルで映画化が現実味を帯びていた。この時点で、日本での配給会社も決まっていたので、あとは撮影が始まるのを待つだけという状況。それが2008年のこと。

その数年前、2004年に、すでに本作はニール・ラビュート監督(『ベティ・サイズモア』)が映画化権を取得。脚本も完成していたが、実現には至らず、ニコールの段階で監督はアナンド・タッカー(『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』)に変わっていた。

豪華すぎる女優陣に出演の可能性が

しかしほどなくシャーリーズ・セロンがスケジュールの都合で降板。続いて妻ゲルダ役をオファーされたのは、グウィネス・パルトロウだったが、彼女には当時、2歳の息子と4歳の娘がいて「家族の時間を重視したい」という理由で断念。その後、ユマ・サーマンの名前も挙がり、2010年、ゲルダ役がマリオン・コティアールと発表されたときは、再び本格的に始動の気配が漂うも、ニコールとマリオンは別作品『NINE』での共演を優先。さらにレイチェル・ワイズにゲルダ役の話が持ち込まれた。

ここで気づくのは、ニコール、シャーリーズ、グウィネス、マリオン、レイチェルと、ユマ・サーマン以外、全員がアカデミー賞受賞者という点。このプロジェクトが、最高のキャスティングを必要としていたことが見てとれる。

キャストと同時に、監督も次々と交代。トーマス・アルフレッドソン(『ぼくのエリ 200歳の少女』『裏切りのサーカス』)、ラッセ・ハルストレム(『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』『ショコラ』)というスウェーデン人監督がオファーを受けたが、結局、撮影には至らなかった。

やがて2014年、『英国王のスピーチ』『レ・ミゼラブル』のトム・フーパーで、ようやく映画化が決定。しかしキャストに、ニコール・キッドマンの名はなかった。

紆余曲折を経て、ようやく映画は完成

アイナー/リリーを任されたのは、男性のエディ・レッドメイン。生物学的に男性の肉体をもったアイナーが、女性のリリーへ変貌する。こうした流れを表現するうえで、この選択は正しかったと思われる。ニコールが演じていたら、どこまで果敢に挑んでも、もともとの彼女のイメージを観客は完璧に払拭できただろうか? 結果的に、エディは持ち前の繊細さを存分に生かし、だんだんとリリーになる過程を、まったく違和感を与えることなく演じきった。後半は、「俳優エディ・レッドメイン」の面影はすべて消え、リリー・エルベという一人の女性がスクリーンに存在していた。過去に多くの男優が女性役を演じているが、この自然さは最高レベルだと誰もが認めるだろう。ホーキング博士役で主演男優賞に輝いた『博士と彼女のセオリー』に続き、エディが2年連続でアカデミー賞にノミネートされたのも納得である。

ひとつのプロジェクトが十年、いや何十年もかかって映画へと結実する。そんなケースは、過去にも例があった。しかし、これほどまで豪華なキャスト候補の変遷の末に、最高のかたちで作品になった『リリーのすべて』は奇跡的一本ともいえる。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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