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ネット甲子園 第1日 がばい旋風、ふたたび 

楊順行スポーツライター
2007年夏の決勝で熱投する久保貴大(写真:岡沢克郎/アフロ)

「悔いはないです」

 ニコニコ、はきはきと答えていた佐賀北の主将・小野颯真の目がだんだん潤んできた。

「去年の夏、初戦負けからスタートしたチームで、よくここまできたと思います」

 8月3日の抽選会。佐賀北が引き当てたのは大会第1日第2試合、神村学園(鹿児島)との九州対決だった。佐賀北というチーム、そして第1日の登場となると2007年、開幕戦に登場し、頂点までたどり着いた"がばい旋風"を思い出す。しかも率いるのは、07年の優勝投手だった久保貴大監督なのだ。

「あのときは開幕試合だった。第2試合なので、当時ほどバタバタしないとは思いますが……」

 付け加えれば07年の優勝も、前年夏の初戦敗退から新チームをスタートしている。さらにさらに佐賀県といえば、07年の佐賀北のほかにも、1994年の佐賀商と、2度の夏制覇がある。そのいずれも開幕試合から勝ち上がり、決勝を劇的満塁本塁打で制しているというのが共通点だ。この、奇妙な符合。だからもし、佐賀北が開幕日の初戦を勝てば、"がばい旋風"の再現もありうるかも、と妙に期待してしまうのだ。

がばい旋風、再現なるか

 07年の夏は、開幕戦で福井商に勝ち、2回戦の宇治山田商(三重)と延長15回引き分けになると、史上5度目の再試合を「佐賀の代表に決まってからも、イヤというほど走らされた」(副島浩史三塁手)という自慢の体力で快勝した。前橋商(群馬)にも、小刻みに加点してチーム初勝利からベスト8入り。準々決勝では、当時の百崎敏克監督でさえ「何点取られるか、恐ろしかった」という優勝候補の帝京(東東京)を相手に、久保投手がスクイズを2度防ぐなどの好守備を見せて延長サヨナラの劇的勝利だ。準決勝は、長崎日大との隣県対決に勝って決勝に進む。

 広陵(広島)との一戦は、0対4と劣勢だった8回裏に3点差とすると、副島が広陵・野村祐輔(現広島)のスライダーを左翼スタンドに。この優勝を決めるあまりに劇的な逆転グランドスラムは、いまでも語りぐさになっている。ちなみに、優勝の主役だった副島もいまは、久保と同じ佐賀県内の公立校・唐津工で監督を務めている。

 一方で、優勝を支えたのがピッチャー馬場将史と久保の継投だった。とくに中盤、あるいは終盤から救援する久保は、佐賀県大会から広陵戦の7回に失点するまで56イニング、甲子園では37イニング無失点を続けた。公立校の優勝は11年ぶりで、特待生問題が高校球界を揺るがしたこの年、地方の普通の高校生が無欲でさわやかに勝つ姿はなんともドラマチックで、当時の流行語になぞらえ"がばい旋風"と呼ばれたものだ。「がばい」とは佐賀弁で「とても」などといった意味である。

 卒業後、筑波大で活躍した久保は、佐賀大大学院などを経て母校に赴任すると、野球部副部長などを経て17年秋から監督となった。同時に、日本一を率いた百崎氏は副部長に。百崎先生と野球をやりたくて佐賀北にきたのに……という選手の不満に、最初は悩んだ。現に、百崎時代から選手が提出している野球ノートには、「意味がわかりません」と久保の采配に平然と疑問を呈する声もあったという。ただそれは、百崎時代からそうだったのだ。

 たとえば07年、夏は公立校こそ体力勝負と痛感していた百崎監督が、ふつうなら技術練習をする時期にトレーニングを優先したときには、「もっと技術練習をするべきじゃないか」。むろん采配に対しても、「あの作戦は、おかしいと思う」という文字がノートに躍った。だが百崎監督は、「こっちがなんでも書け、といった手前、カチンときても耳を傾けざるを得ない」。当時の松冨寿泰によると、「“不満を言えるようなチームのほうが、いいじゃないか”と監督はいうんです。大きい人だと思いました」ということになる。監督になった久保も、それを受け継いだ。もともと高校時代は、「久保は武雄からの電車通学なので、通学には1時間くらいと、部員のうちもっとも時間がかかる。それなのに、いつもアイツが練習の最後まで走っていました」(副島)。その忍耐強さが、監督としても生きたのだろう。

いつかはVメンバーの対決を

 佐賀を制し、5年ぶりに夏の甲子園出場を決めたとき、久保監督はこう語った。

「基本は百崎先生のやってきたことを踏襲している。それが佐賀北の基礎だと思うので」

 そうして、07年夏と同じ開幕日の初戦を迎えたわけだ。だが……「いつも通りの試合で負けたらしょうがない。問題は、いつも通りの試合ができるかどうか」と試合前に久保監督が語ったように、やはり甲子園は勝手が違ったか。初回犠打野選、また、「県大会ではミスのなかった三遊間だけに、想定外」という宮崎翔大、古川隼の失策などで初回に3失点。序盤の失点を中盤に追いかけ、3点差としたまでは久保監督のゲームプランのうちだったが、7回には右翼手江藤謙伸の後逸で2点を追加され、万事休す。結局は2対7で敗れた。エース・川崎大輝の自責点は2。浮き足立った守備がなんとも痛かった。

「初回ですねぇ……」

 と試合後、久保監督は振り返る。

「ヒット1本で3点ですか。そこが一番のポイントで、なかなか自分たちの流れになりませんでした。采配らしい采配も振らずじまい。全国という舞台のむずかしさです」

 これで佐賀北は、優勝した07年以外4回の夏はいずれも初戦敗退となった。だがそれはそれとして、だ。今年の佐賀県では、07年に逆転満弾を放った副島が率いる唐津工もベスト8まで進出している。"がばい"2人の監督による佐賀の頂上決戦が見られる日も、遠くないかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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