「自ら動いて、もどかしい現状を打破へ」。女優の松林うららが企画・プロデュースに踏み出した理由
4名の気鋭監督が注目の俳優を迎え、連作スタイルで作り上げた長編映画「蒲田前奏曲」は、ひとりの若き女優が自らの企画を実現させている。彼女の名は、松林うらら。18歳でスカウトされモデルとして活動をスタートさせた彼女は、2012年に矢崎仁司監督の『1+1=11』で映画デビューし、以来俳優としてキャリアを重ねてきた。「蒲田前奏曲」は彼女が自ら企画・プロデュース・出演を兼ね、主導して映画を完成させた。
そう書くと容易に思えるかもしれない。確かに企画プロデュース、出演を兼ねることはシャーリーズ・セロンをはじめハリウッドでは珍しくない。だが、セルフ・プロデュースが浸透しているとは言い難い日本の芸能において実現させることは並大抵なことではない。まだ20代で俳優としてのキャリアも10年にも満たないとなれば、そうとうな困難があったことは想像に難くない。
自ら企画・プロデュース・出演を兼ねる映画を主導したきっかけは?
そういう意味で、大いなるチャレンジを成し遂げたといっていい松林うらら。彼女は今回のプロジェクトに踏み出したきっかけをこう明かす。
「いまから3年前に主演を務めさせていただいた『飢えたライオン』で多くの海外映画祭に足を運ぶ機会に恵まれました。そこで海外のフィルムメーカーや作品と接する中で、大いに刺激を受けたというか。映画の可能性を感じる一方で、自分自身が俳優としてもひとりの人間としても世界や社会についてももっと深く考えなければならないと思いました。
その中で、俳優としてもっと能動的に動いてみたい気持ちが芽生えたんです。俳優って基本的には受け身の立場。でも、ただただオファーを待っていることでいいのか。もっと自ら動いていいのではないかと。
海外に目を転じるとシャーリーズ・セロンやブラッド・ピットなど、自らプロデューサーも兼ね、出演して映画を作っている。もちろん私と彼らの実績はまったく違うので比べようもないんですけど、自分もなにか企画して映画を作りたい気持ちが日に日に強くなっていきました。
それで、ロッテルダム映画祭でお会いしたプロデューサーで、後に本作のエグゼクティブプロデューサーを担当していただく小野(光輔)さんに相談したところ、『絶対に作った方がいいよ』と背中を押されて、やってみようと思い立ちました」
そのロッテルダム映画祭では、自ら企画プロデュース、出演、監督を務め、国際舞台で活躍する杉野希妃とも出会った。彼女との出会いもまた大きかったという。
「杉野希妃さんと出会って、こういう生き方もあるんだと、素直に憧れました。まさに自ら道を切り拓いている先人で。その存在に勇気づけられたところもありました」
俳優活動へのもどかしさも踏み出したきっかけ
もうひとつ踏み出したきっかけに女優活動へのもどかしさや苦悩があったことを明かす。
「俳優業に満足していなかった現状があったのも確かです。恥ずかしながら、自分の女優という立ち位置は上手くいっているとは言い難かった。オーディションを受けても通ることはほとんどない。演技がしたいのに仕事は来ない。となれば当然、お金は入らない。来る案件は端役ばかりで、セリフ1行をもらえたら御の字で喜んでいる自分がいる。傍から見ると、女優って華やかな職業に見えるかもしれませんけど、残念ながら、俳優業だけでは食べていけない現実がありました。
こうした状況をなにか自分で動くことで打破したかった。
それともうひとつ、そもそも作られる映画自体が男性目線ですべて決められているのではないか?そういう疑問も私の中にはありました。オーディションに行ってもほとんどの場合が、男性に審査される。そもそも作品自体も男性目線で語られることがほとんどのような気がするし、魅力的な主人公はだいたいが男性です。ひとりの演者としてみて、ああいう役をやってみたいなと思うのは、大概、男性の役なんですよね。それから、主役を張る女性でも、なにか男性目線で都合のいい女性像があてがわれていたりする。
あと、自分が言うのもなんなんですけど、ほんとうに魅力的で実力のある俳優さんがいっぱいいるのに、テレビや映画をみると決まった人しか出てこない。それを否定する気はないんですけど、もう少しなにか新たな人を発掘するような土壌があってもいいんじゃないかなと思うんですよね。
それで、こうした現状を、私の身に起きたことで表現することで、何かがかわるかもしれない。そんな謎の責任感が自分の中にわいてきたんです(笑)。『誰かが立ち上がってやらないといけない!』と。
こうした要因が積み重なって、このプロジェクトに踏み出そうと思いました」
Netflix時代のいまの若者にも興味をもってもらえる連作映画の構想
こうした想いから自ら企画を動かしはじめる。
「はじめは、どうせなら自分で監督をやろうかなとも思ったんですけど、企画を考えていた同じ時期に映画監督の山戸結希さんが企画・プロデュースしたオムニバス映画『21世紀の女の子』があって、私も出演しているのですが、短編集のおもしろさを味わうことができました。
それで考えが変わったといいますか。オムニバスというよりは複数の監督で繋げたような連作長編映画ができないかなと思ったんです。私がバトンとなって襷を繋いで、一つの作品を創れないものかなと。そもそも私は本でも連作集が好きで、よく読む。それから、1話1話が独立しているのだけれど、どこかで連なっているというのは、Netflix時代のいまの若者にも興味をもってもらえるんじゃないかなとも思いました。
それでこういうことをやりたいということを箇条書きにした企画書を小野さんにみていただきました。なにせ企画書の書き方もよくわかっていませんでしたから、たぶんめちゃくちゃだったはず(笑)。でも、ほんとうにいろいろとアドバイスをいただいて、なんとか今回の4編のおおよその骨格を示す企画書ができました」
想定した4編は、弟への愛情と蒲田を舞台にしたエピローグ的な1編、女子会をテーマにしたもの、#metooをテーマにしたもの、東京中心主義を主題にしたものと決めた。こうしてできた企画書を手に松林はいろいろと当たっていくことになる。
「現段階、私は有名な俳優とは言い難い。そんな知名度のないしがない俳優の私が監督を直接スカウトして、オファーするなんて恐れ多いと、はじめは思いました。はっきり言って、『おこがましい』と思いましたし、私がオファーしたところで、受けてくれるがはずはないとも思いました。でも、踏み出さないとなにも始まらない。
それで当たって砕けろという思いで、自分の熱意を、思いのたけを今回の中川龍太郎監督、穐山茉由監督、安川有果監督、渡辺紘文監督には伝えました。すると、みなさんありがたいことに賛同してくださったんです」
注目していた4人の監督に直談判!
ほんとうに監督へのオファーはほぼ直談判に近い形だったとか。
「企画がだいたい固まったころ、ちょうど東京国際映画祭があって、穐山監督、安川監督、渡辺監督は、その場でといった感じでしたね(苦笑)。
穐山(茉由)監督は東京国際映画祭で『月極オトコトモダチ』が上映されていたんですけど、それを見た瞬間、『女子会をテーマにしたエピソードの穐山さんにお願いしたい』と直感的に思って。その会場内で打診しちゃいました(笑)。びっくりしたと思います。『なんなんだろうこの人』って。
安川監督は、私も参加した『21世紀の女の子』の一編『ミューズ』が大好きで。ハラスメント編についてお願いできないかなと思いました。
栃木県大田原市で作品を撮り続けている大田原愚豚舎の渡辺監督はもうずっとファンで。渡辺監督も東京国際映画祭に参加されていたので、そのときに『東京中心主義』というテーマでお願いできないかとお話しました。
中川監督は実は、最後にお願いしたんですけど、以前から仲良くさせていただいていて。私は、『Plastic Love Story プラスチック・ラブ・ストーリー』が大好きで、オープニングとなる1編を作ってもらえないかなと思ってお話しました。
いま考えると、ほんとうに無鉄砲にもほどがあるんですけど、後先のことは考えずにお願いして、めちゃくちゃ作りたい気持ちだけを熱弁したような気がします」
こうして受諾してもらい監督に、それぞれのお題をテーマに脚本を書いてもらった。
「共通のテーマは、私が演じる蒲田マチ子という売れない女優を軸にすることと、蒲田が舞台ということ。それだけが決まりで、あとは各々にテーマだけお伝えして自由に書いていただきました。
中川監督には、私が弟に彼女ができた際に妬したこと、いわゆる『弟love』をテーマに何かできないかと。あと、オープニングにふさわしい作品を撮ってほしいことを伝えました。
2編目の女子会は、あの独特のノリや雰囲気をマチ子を主軸に書いてもらえればと穐山監督にお願いしました。
3編目の#metooについては、まず今回の企画の出発点で、私としてはどうしても表現して描きたかったこと。それで、安川監督に、自分が実際に体験したことをいろいろとお話しました。
たとえば『女優なのに脱ぐ勇気もないのか』と言われたことや、オーディション会場で男の人に審査されるというシステムへの疑問とか、そういうことを聞いていただいて、なにかハラスメントや男尊女卑といったことに一石を投じられるような物語ができればいいなと思いました。
最後の渡辺監督には、東京中心主義に対して批判してほしいと。その中で、大田原在住の(久次)璃子ちゃんをキャスティングして、いつもの渡辺節で政治的な要素を社会派としてラップのようにして物語にしてもらえればとお願いしました」
それぞれの作品を松林自身はこう評する。
「第1番となる中川監督の『蒲田哀歌』は、私の『弟love』という主題を踏まえながら、お話の世界がさらに広く広く広がって。戦争にまで踏み込んでいる。
自分が提示した『弟love』というちっぽけな題材が、ここまで広がりをもつ物語になったことに驚きましたし、感動しました。それから、マチ子というキャラクター造形も蒲田という場所の意味することも完璧に生かしている。ほんとうに作品のオープニングを飾るにふさわしい作品だと思っています。
第2番となる穐山監督の『呑川ラプソディ』は、さすがといいますか。穐山監督も私も女子高、女子大で。ずっと女子の世界で学生時代を過ごしてきた。
私は女優ですけど、周りの子は仕事をバリバリしていたり、結婚した子もいたりして、この作品に登場する5人グループのように、集まってああいう会を開いたりすることがある。誕生日会とか。
で、そのときに女優ってぜんぜん皆さんのイメージより華やかではないし、むしろキャリアウーマンとしてバリバリ働いている子のほうが垢ぬけていて目立っていたりすることを痛感する。そういうことを穐山監督には伝えたんですけど、それを見事に形にしてくれた。しかも、穐山ワールドとして。
女性同士の他愛のない会話も自然に描かれてもいれば、いまの女性の生き辛さや、男性中心の社会へ対するアンチテーゼなども盛り込まれている。単なる『女子会についての映画』では収まらない、一作になったと思っています。
第3番となる安川監督の『行き止まりの人々』は、ほんとうに私の疑問に思っていたことをひとつの物語として昇華してくれた作品になりました。
もちろん日本の社会に対するメッセージも入っているんですけど、そもそも日本の映画界自体も男性上位で。監督と女優という立場には危ういパワーバランスが存在する。それが見過ごされがちな図式もあったりする。そうした映画界に対する問題提起も入っている。ほんとうに安川監督にお願いしてよかったなとおもっています。
最後を飾る第4番、渡辺監督の『シーカランスどこへ行く』はびっくり仰天といいますか。『こうきましたか』と(笑)。
共通テーマとして「蒲田が舞台」と提示しましたけど、渡辺監督はずっと大田原で撮っているわけで、蒲田で撮るわけはないと思っていたんです。『大田原から出るはずはない』と。
最初は、マチ子が家族に見せる顔というテーマで、東京から大田原に帰るという設定のシナリオがありました。結局、舞台は蒲田にならず、大田原で。さらに、マチ子も映像としては登場しない。でも、いずれも蒲田が舞台ということもマチ子という存在も物語の中で言及していてクリアしている。
そして、大本題の『東京中心主義への批判』が徹底してなされている。
東京に一極集中して人が集まるということに、私はいつも疑問を感じていて。地方にも素晴らしいところはいっぱいあるのに、夢を追う者はなんでみんな東京を目指すのか、疑問を抱いていたんです。そういう意識はもう古いんじゃないかと。
そういうことがすべて詰まっている。もっというと、ジェンダーについてとか、女性軽視とか、女が生きづらい世の中とか、ほかのテーマまで入れ込んでいるところがある。本当にすごいと思いました」
完成した作品をいまこう受けとめている。
「映画作りのイロハも知りませんでしたから、『蒲田大騒動』かってぐらいいろいろなことが実際起きました(苦笑)。
正直なこと言うと、けっこう衝突もありました。監督のみなさんは私よりも映画の経験もあるし、年齢も上。だから、『なんだ、こいつ、生意気な』と思われても不思議でないような瞬間もあったと思います。それでも、みなさん、わたしと最後まで一緒に歩んでくださった。振り返ると、よくこんな無茶なこと言ったり、無謀なことやったなと思って、そこはもう謝るしかないんですけど。ほんとうに各監督には感謝しています」
今回の企画・プロデュースを経て今思うこと
今回の経験を経て、プロデュース業と俳優業をこう感じているという。
「俳優業とプロデューサー業ってまったく違う。受動的なものと能動的なもの、本当に外と内の存在のようで。
カメラが回ったら役者として立っているんだけど、カメラが止まった瞬間に『あのロケ地どうしよう』みたいな感じで考えている自分がいる。すごく大変でしたけど、人間としてはすごく成長できたんじゃないかなと思っています。
シャーリーズ・セロンのようになれるかわからないですけど、今回のような自ら企画を開発して自ら出演もして作品を作っていくことを続けていきたいと思っています。そして、私のようなスタンスをとる人がもっと増えていってくれたらうれしいですね。
いずれは監督にも挑戦してみたい。意味のある作品を世に残していきたいし、伝えていきたいなと思っています」
「蒲田前奏曲」
ヒューマントラストシネマ渋谷・キネカ大森ほかにて全国順次公開中
場面写真はすべて(c)2020 Kamata Prelude Film Partners