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いまだ蔓延る「たかがタバコ」という「昭和脳」から「体操女子代表の五輪辞退」を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 2024年7月19日、日本体操協会は、パリ五輪・体操女子代表主将の宮田笙子選手に代表選手の行動規範違反(喫煙、飲酒)が認められ、同選手が五輪の出場を辞退したと発表した。このニュースに対する反応は様々だが、問題を整理しつつ、タバコのニコチン依存などについて考えてみたい(この記事は2024/07/21の情報にもとづいて書いています)。

法律違反と懲罰の軽重

 宮田選手は19歳なので、民法改正で選挙権などが18歳以上に引き下げられた後も20歳未満の喫煙と飲酒を禁止する法律に違反している。この法律(二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律)の歴史は古く、1900(明治33)年に制定された。

 明治時代からこの法律の立法趣旨は、喫煙による未成年者への健康被害と非行の防止だ。違反して罰金が科せられるのは、20歳未満と知りながら喫煙を制止しなかった親権者や監督者(1万円未満の科料)、20歳未満と知りながらタバコ製品を販売した者(50万円以下の罰金)となっている反面、喫煙した20歳以下に対する罰則はタバコ製品や喫煙具などの没収となっている。

 このように、20歳未満の違反者自身に対する罰則は軽く、喫煙を制止しなかったりタバコを売ったりする行為には重い法律となっている。これは違反した未成年者の更生を期しているためとされているが、20歳未満の刑が軽くても違法は違法だ。

 日本体操協会「日本代表選手・役員の行動規範」の最初に「違法行為は行わない」とあり、第8項に「日本代表チームとしての活動の場所においては、20歳以上であっても原則的に喫煙は禁止する」とある。これは日本を代表する人という立場からの取り決めであり、20歳未満の一般人の更生を期した法律とは異なり、厳しい自律が求められていると考えていい。

 一方、関係者や著名人らの発言の中には、強いプレッシャーがかかっていた、1回で常習性がないようだ、といった説明、「たかがタバコ」と五輪に出場できなくなることを比較して懲罰が重すぎるといった擁護などが出ている。

ニコチン依存と喫煙

 強いプレッシャーがかかっていたからタバコを吸ったり飲酒したりした、という説明に説得力はあまりない。なぜなら、プレッシャーを軽減させるためには、過去にタバコや飲酒によってプレッシャーが軽減されたという経験がないと手を出さないと考えられるからだ。そのため、今回限り1回だけだったという説明にも疑問が残る。

 もちろん、上記法律にあるように、もし本人が吸ったことがなかったとすれば、喫煙や飲酒を勧めた人にも大きな責任がある。だが、特に喫煙習慣はニコチン依存によってもたらされ、いくらプレッシャーにさらされたからといって、それまで吸ったことのない人が行動規範違反をしてまで手を伸ばすことは考えにくい。

 重圧のかかるトップアスリートのメンタルヘルスとその管理は重要だが、タバコや飲酒によってメンタルヘルスを健全に保ち、管理できるという証拠はない。ニコチン依存になるとニコチン欠乏によるストレスがかかり、タバコを吸うとそれが解消され、あたかもプレッシャーから解放されたように感じるだけだ。

 また「たかがタバコ」で五輪出場ができなくなるのは懲罰が重すぎる、という声も多い。だが、タバコは受動喫煙という形で他者危害も生じさせる。受動喫煙による1年間の死者は1万5000人と見積もられ、これは飲酒運転による死亡数(年間、百数十人)よりずっと多い。

 未成年者の更生を目的にした法律とはまた異なり、他者危害が喫煙が問題視される理由の一つであり、受動喫煙の防止を目的にした改正健康増進法の立法趣旨にもなっている。

 依存症については、依存症にならないことが大切だ。依存症は主に脳の報酬系に対する刺激によって生じる障害であり、脳の報酬系に依存的な回路ができてしまうと依存症から離脱することが難しくなる。

 タバコに含まれるニコチンは強い依存性のある薬物で、喫煙を始めた年齢が早いほど依存度が強くなり、禁煙するのが難しくなる。こうしたことからも20歳未満の喫煙は法律で禁止されていて、喫煙期間はその後のタバコ関連疾患の発症と関係するから、長くタバコを吸うことで肺がんなどにかかるリスクが高まる。

なぜ社会は喫煙に寛容なのか

 ではなぜ「たかがタバコ」という昭和脳の発言が出てくるのだろうか。発言者をみてみると中高年の男性が多いようだ。この世代の男性喫煙率はまだ30%前後と高く、喫煙所問題にあらわれているようにタバコに関して寛容な人も少なくない。

 そもそも日本は行政のトップや立法府の議員の遵法意識がかなり低い。日本政府も一緒になって策定したタバコ規制の国際条約(WHO FCTC)があるが、自らが決めた条約の内容も履行できず、JT(日本たばこ産業)やアイコスのフィリップモリス、グローのブリティッシュアメリカンタバコなどタバコ産業の影響力を排除できない日本政府の態度が象徴的だ。

 これでは率先垂範のモデルにはとうていなれないし、代表を辞退した選手にしめしがつかない。筆者は、日本社会には特に男性による昭和の価値観や体制、勢力がゾンビのように残っていて、それがいろいろな問題解決の邪魔をしているのだと考える。

 一方、今回の問題では、日本体操協会の迅速な対応に評価があがっている。2021年に就任した藤田直志日本体操協会会長は、日本航空出身で同社では健康経営担当役員だったし、社内の禁煙推進化に尽力してきたようだ。日本体操協会のスポンサーには、JT(日本たばこ産業)の完全子会社テーブルマークが入っているが(厳密にはこれもFTCT違反)、スポンサー企業への忖度などを感じさせない対応だった。

 よく「健全な精神は健全な肉体に宿る」などという。だが、これは誤訳とされ、本来の意味は「健全な精神が健全な肉体に宿ればいいのになぁ」という願望であり、実際はそうではないという反語的な言葉とされている(※)。

 一罰百戒。パリ五輪代表を辞退した選手はさぞ無念だろうが、20歳未満の喫煙や飲酒を禁止した法律の趣旨をよく理解しつつ、この経験を糧にし、日本代表として恥ずかしくない選手として今後の活躍を期待したい。

※:Judyta Krajewska, "“ORANDUM EST UT SIT MENS SANA IN CORPORE SANO”, THE BEGINNINGS OF HEALTH PREVENTION IN ANTIQUITY" Seminare, Vol.40, No.4, 133-146, 2019

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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