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ドラフト2018 逸材発掘! その2 近本光司

楊順行スポーツライター
都市対抗での活躍もあり、8月末からのアジア大会で日本代表も経験した近本光司(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

「マジか……」

 第89回都市対抗準決勝8回裏、大阪ガスの攻撃。JR東日本・板東湧吾の口は、そう動いたように見えた。2対2と同点の終盤。1点もやれないJR東は、今大会ここまで13回強を無失点と、絶好調のエースをマウンドに送った。その代わりバナだ。先頭の大阪ガス・近本光司が3球目のストレートを叩くと、きれいな弧を描いた打球が左中間スタンドに飛び込んだ。近本はいう。

「外角への配球が多いのがデータでわかっていたので、それをしっかり打ち返すことだけを考えていました」

 逆方向に伸びていく打球の軌道が、板東に思わず「マジか」といわせたのだ。大阪ガスは、この近本の決勝弾で準決勝を突破すると、決勝でも三菱重工神戸・高砂を2対0で撃破。過去都市対抗で2回、日本選手権で3回準優勝があり、シルバーコレクターといわれてきたチームが念願の初優勝を達成したわけだ。

打たれた投手が思わず「マジか」

 21打数11安打の打率・524で5打点、1ホーマー、4盗塁と大活躍の近本は、

「大会前、調子はよくなかったんです。だから打席では、後ろにつなぐ意識。自分の力ではなく、バットとボールの力を借りて打つ、というイメージでした」

 と明かしたが、MVPにあたる橋戸賞と首位打者賞の同時受賞は、昨年の福田周平(NTT東日本、現オリックス)に続くものだった。大阪ガス・橋口博一監督はいう。

「小柄ですけどパンチ力はあって、むちゃくちゃ飛ばします。首位打者賞をとった岡山大会ではホームランも3本打っているし、JR戦の一発が今季5本目です。実は、新人の去年は三番を打っていました。ただ今年はキャンプで自打球を当てて出遅れ、まずは九番から復帰させたんです。調子とともに、どんどん打順も上げていきました。一番や三番じゃなくて五番? それまでに上位打線がうまく機能していたので、単に上がつかえていたんですよ(笑)」

 そう、近本を語るときに見逃せないのが、50メートル5秒8の俊足だ。同じ都市対抗、信越硬式野球クラブ戦の第1打席は二塁への内野安打。かずさマジック戦は単打コースを二塁打にしたあと、三塁への内野安打2本。「近本の打球は人工芝とはいえ、ようはねる。普通はあんなにはねませんけど、体に力があるからでしょう」と橋口監督も感嘆する。

 その足が大きく白星をたぐり寄せたのは、前年の覇者・NTT東日本との準々決勝だ。2点を追う6回無死一、三塁での打席は、三塁正面へのゴロ。NTT東の内野陣は、1点を与えても併殺狙いだったが、正面の打球でも一塁はセーフになる自信があった近本にとっては、むしろ「ラッキー」。そのとおり、併殺崩れで1点差とすると、一塁塁上の近本は2球目ですかさずスタートを切る。「盗塁はつねにグリーンシグナルで、あそこは成功する自信がありました。また送球が外野に抜けたら、次の塁に行くと決めています」と盗塁、さらに捕手の送球がそれる間に三塁へ。相手暴投でその近本が同点のホームを踏むと、チームも難敵に逆転勝ちだ。

打者専念からわずか4年目

 打って、走って、そして守備範囲広く守って。橋戸賞男としてにわかに脚光を浴びたが、これまであまり目立たなかったのは、打者転向からわずか4年というキャリアも理由にあるだろう。兵庫・社高から投手として関西学院大に進むと肩、ヒジの故障が相次ぎ、2年間を棒に振った。投手をあきらめて外野手に転向すると、3年春はいきなりベストナインを獲得。だが秋は足を痛め、4年の春は右ヒジを骨折とさんざんだった。それでも新人だった昨年は、近畿2次予選で2ホーマーし、三菱重工神戸・高砂に補強された都市対抗でも5打数3安打と、その片鱗はのぞかせていたのだ。

「結婚してプロを意識するようになり、この1年で劇的に状況が変わりました。プロは夢ではありますが、行けても活躍しないと意味がありません」

 シンデレラ・ストーリー、結末はまだ先だ。

ちかもと・こうじ●1994年11月9日生まれ●外野手●170センチ70キロ●左投左打●淡路市立東浦中(軟式)→社高→関西学院大→大阪ガス

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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