【京都市】右京区 名所にまつわる謡曲で『平家』を思う(「平宗盛卿終焉之地」含む)
謡曲で巡る京都というのも面白いものです。「能」鑑賞が好きなわたしは、謡曲史跡保存会が、関係場所に説明書きを設置しているのに遭遇するたびに、ドキドキします。
今回は、「仁和寺」にある謡曲「経正」と「仁和寺」の関係について書かれた説明書がありました。謡曲「経正」の内容の一部は、『源平の合戦』で戦死した平経正の追悼のため、経正と親しかった『仁和寺門跡』にて、守覚法親王のもとで法要が営まれることとなり、その仏前には名器「青山」が置かれました。法要中に、霊である「経正」が現れ琵琶「青山」を弾くというもの。
「経正」は、平清盛の弟・経盛の長男として生まれた人物で、平安時代中期の宇多上皇にはじまる皇室ゆかりの寺院『御室仁和寺』にて、覚性法親王から寵愛を受けていた人物です。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、昨今平家の都落ちの場面が出てきますが、「経正」では、都落ちの際、仁和寺を訪れ、覚性の次の門跡となった守覚法親王から琵琶の名器『青山』を預けられるとあります。『青山』は、平安時代の初め頃に、「唐」から「朝廷」に献上された大切なものです。
わたしが大好きなインドのタブラ奏者U-zhaanらによる音楽やアートの体験もさることながら、まさにこの場所にて、経正が武装姿をはばかりました。親王は気にせず「これへ、これへ」と迎え入れます。その半年後、経正は一の谷合戦で武蔵国の住人であった「河越小太郎重房」に討ち取られてしまいます。
今日、滋賀県の竜王で、たまたま「平宗盛卿終焉之地」と刻まれた石碑と石仏に出会いました。
一の谷合戦で大将だった「平宗盛(たいらのむねもり)」とその息子である「清宗(きよむね)」が捕らえられ、鎌倉から京都へ送り返される途中、近江篠原で斬殺され屍を埋めたとされる場所です。
また、その血を洗った池は「血洗い池」と呼ばれ、そこにいた蛙たちは、哀れんで鳴かなくなったことから「蛙鳴かずの池」とも呼ばれています。
そこで、800年以上も続く平宗盛と清宗のための法要が行われていました。今日は、大河ドラマを見ながら平家を思いたく思います。
総本山 仁和寺
〒616-8092
京都府京都市右京区御室大内33
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FAX/075-464-4070
平家終焉の地
住所: 野洲市大篠原86