【アイスホッケー】名監督になるのは名選手だけではない! 出場試合数「0」の名監督・クリス若林<後篇>
クリス若林(44歳・現東北フリーブレイズ監督)は、ミシガン大学を卒業後、コクド(国土計画)や日本代表の監督を務めた父親のメル若林(日本名:若林仁)氏(74歳)が縁となり、それまで過ごしていた北米から来日し、コクドの一員に。
しかし、父親が有していたカナダ国籍を受け継ぎ、日本国籍を選択しなかったことから、日本リーグ出場へ向けて、練習に汗を流しながら、帰化申請が受理される日を待っていた。
だが彼の下に、日本国籍取得の知らせより早く届いたのは、日本代表通訳就任の知らせだった。
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▼24歳での転身
「もっと選手として頑張りたい! って思いました」
今から12年前。まだコクドのアシスタントコーチだった頃に、当時の気持ちを尋ねると、クリスはこう答え返した。
日本代表の通訳就任を告げられた時の本音だ。
大きな負傷で再起が困難だったわけでもないのに、24歳の若さにして、選手の道にピリオドを打つ。
容易な選択でなかったのは、明らかだった。
しかし、「もともとコーチにも興味があった」と話すクリスには、これ以上ない環境が待っていた。
なぜなら、クリスが通訳を担うことになった時、日本代表を率いていたのはデイブ・キング氏だったからだ。
▼名将からのお墨付き
24歳でサスカチュワン大学のコーチに就任したキング氏は、その後、長年にわたってカナダ代表を率いて、アルベールビル オリンピックで銀メダルを獲得するなどした実績の持ち主。その手腕を評価され、NHLカルガリー フレイムスから HC に招かれた。
その後も、NHL や KHL のチームなどで指導を続け、69歳となった今季も、カナダ代表のコーチを務めたほどの名将だ。
このような功績を称えられ、国際アイスホッケー連盟の殿堂入りを果たしたキング氏は、日本アイスホッケー連盟のアドバイザーも担っていたことから、長野オリンピック開催決定を機に、日本代表の HC に就任。世界選手権で采配を振るった。(長野オリンピックの際はGM)
日本代表の通訳として、誰からも一目置かれる名将と多くの時間を共有したクリスは、たくさんの財産を手に入れたに違いない。
何よりの証拠に、長野オリンピックの開幕が近づいた頃、キング氏の口から、このようなお墨付きの言葉が何度も聞かれた。
「クリスは、きっといいコーチになるぞ」
▼コーチとして4度のリーグ優勝
長野オリンピックのシーズンを終えたあと、アイスホッケーから離れ、4季ほど会社の業務に従事していたクリスは、アシスタントコーチとして、2002年の秋にリンクへ戻ってきた。
だが、この年のコクドは、のちにNHLのロサンゼルス キングスからドラフト指名される福藤豊(現日光アイスバックス) や、ポイントゲッターの鈴木貴人(現東洋大学監督)が、北米のマイナープロリーグに移籍。また長野オリンピックで、22年ぶりの白星を呼び込む決勝点(GWS)を決めたFWの八幡真(やはたしん)らの主力が退団。
”飛車角落ち” どころではない大きな戦力ダウンを強いられた中、クリスはアシスタントコーチとしてベンチワークを担い、4位からプレーオフの3つのラウンドを勝ち抜く「日本リーグ史上最大の下剋上」を演じて、コクドを頂点へ導いた。
以来、コクドと(チーム名改称後の)SEIBUプリンスラビッツで、5季にわたりアシスタントコーチを務め、日本リーグと(日本リーグが発展解消する形で発足した)アジアリーグで、チームを2度ずつ優勝へ導き、キング氏の言葉が間違いではなかったことを証明してみせた。
▼監督として4度のリーグ優勝
さらにクリスは、10年前に監督へ就任してから、プリンスラビッツで「2度」。
チームが解散した翌シーズンからアジアリーグに加盟したフリーブレイズでも「2度」。合わせて「4度」のリーグ優勝を飾った。
監督して4度のリーグ優勝を飾ったのは、くしくも父親のメル氏が、コクドを日本リーグのチャンピオンに導いた回数と肩を並べている。(共同コーチの年は除く)
だがメル氏は、こう言った。
「日本リーグの頃より、チームも試合数も増えてますし、全体のレベルも上がっていますから、今のアジアリーグで何度も優勝するほうが大変なことだと思います」
▼父親の優勝回数を超える日
メル氏の言葉が物語るとおり、2003年にアジアリーグが誕生して以来、試合数が増え、サイズで上回る海外チームとの対戦や、長い遠征なども増えている。さらに近年は、多くのチームが経費の見直しを迫られ、選手やチームスタッフの数も、クリスが来日した頃より大幅にダウンした。
それだけに監督が担う役割も増え、外国人選手が利用する自動車のトラブルなども、クリスは自ら対応を買って出ている。そのため、あまりの忙しさに、予定していたスケジュールを忘れてしまったこともあったほどだ。
長野オリンピック前の日本と同じく、来年に控えたピョンチャンオリンピックへ向け、2012年に施行された「優秀な人材に対する特別帰化制度」を用いて、韓国のチームが北米出身のプレーヤーの登録を増やしている。
また極東エリアながら、スキルとサイズに長けたロシアのチームも加わり、日本のチームがアジアの頂点に立ったのは、一昨季のフリーブレイズが最後。
昨季と今季は、日本のチームが優勝を争うプレーオフ・ファイナルに、勝ち上がることさえできなかった。
それだけに、クリスが父親の優勝回数を超える日が、早くやって来ることを願う日本のアイスホッケーファンは、きっと多いに違いない。