【九州三国志】田手畷の戦い!赤熊の奇襲が刻んだ北九州の宿命
室町時代、北九州の覇権を巡り大内氏と少弐氏は長きにわたり宿敵として争い続けました。
その歴史の一幕、田手畷の戦いは、鮮烈な赤熊の奇襲とともに語り継がれる戦いでございます。
明応6年、大内義興が少弐政資を破り、少弐氏を一地方勢力へと追いやったのち、義隆は宿敵・少弐資元を討つべく勢福寺城を攻撃させました。
兵力差は歴然、少弐勢の敗北は目に見えておりましたが、鍋島清久・清房父子を筆頭とする赤熊の奇襲隊が戦局を覆しました。
赤熊の異形に驚愕した敵軍は混乱し、ついに興連は敗走。
横岳資貞や筑紫尚門の戦死とともに、大内方の威信は大きく傷つけられたのです。
この勝利は龍造寺家兼の勢力を強め、少弐家中における彼の発言力を飛躍的に高める契機となりました。
一時は勢いを取り戻した少弐氏でしたが、大内義隆の本格的な攻勢により再び衰退し、ついには資元が自刃。
少弐氏の命運はここに尽きたのでございます。
田手川の地には戦の記憶が色濃く残り、その334年後には佐賀の乱という新たな戦乱が巻き起こりました。
赤熊の武者たちの魂は、今も田手畷の風に溶け込んでいるのかもしれません。