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日本によいサッカースタジアムが必要な理由。ピッチに描かれるデザインを見逃すな

杉山茂樹スポーツライター
改修が始まったカンプノウ(写真:ロイター/アフロ)

 アウェー戦をテレビ観戦できなかったシリア戦。これがもしラグビーだったら、ここまでの騒ぎになっていただろうか。ラグビーは番狂わせの少ない、実力差がスコアに直結しやすいスポーツだ。ラグビーの日本代表がサッカーで言うシリアレベルの国に敗れる心配はないだろう。その心配が少なからずあるのがサッカーだ。運が試合結果に及ぼす影響は3割。弱者を相手にした場合でも、観戦にはそれなりのドキドキ感がつきまとう。

 シリア戦。終わってみれば結果は5-0だった。心配は杞憂に終わった。だがナマでキチンと見たかったという気持ちは強く残る。できればスタンドで観戦したい。日本代表というより、その根底にあるのはサッカーゲームそのものへの興味や関心だ。

 サッカー観戦は何が楽しいのか。スポーツは筋書きのないドラマと言われる。サッカーも例外ではない。しかし単なる筋書きではない。具体的にはピッチに描かれるデザインに筋書きがないのだ。

 真っ白なキャンバスに描かれていく絵を眺めることと観戦は似ている。90分間の間にどんな絵が完成するか。鑑賞する気分でピッチ上の試合に目を凝らしている。

 絵は毎試合異なる。筆のタッチもすべて違う。同じプレーを拝むことは生涯2度とないのである。そこに貴重さ、尊さを覚える。サッカーに限った話ではないが、デザイン性が最も問われていると言いたくなるのがサッカーだ。ハイレベルの戦いになれば、芸術と言いたくなるデザイン、展開美にも遭遇することもできる。

 試合結果とそれは時に別物になる。「美しいサッカー、きれいなサッカーをしても試合に勝たなくては何の意味もない」とは、あるサイドの人がよく口にしがちな台詞だが、筆者はそれとは逆の立場にいる。少なくとも、美しくないサッカー、きれいではないサッカーは見たくない。それで試合に勝っても感激は少ないという立場にいる。

 眺望のよい、視角に優れたスタジアムで試合を観戦したときは、なおさらそう思う。正面スタンド上階の記者席に座る筆者は、ピッチ上に描かれるデザインや芸術性を、ベンチで観戦している監督以上にハッキリと視界に捉えることができる。

「娯楽性と勝利をクルマの両輪のように追求せよ」とは、ヨハン・クライフがバルセロナ監督を務めていたときに聞かされた言葉だが、実際にその言葉に負けない試合を98000人収容の巨大なスタジアム(カンプノウ)で見せられると、筆者がそれまで備えていた「美しいサッカーをしても勝たなくてはなんの意味もない」という概念は、たちどころに雲散霧消したのだった。

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スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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