辰吉のライバルだった男
1998年8月23日。男は25戦全勝の戦績で横浜アリーナに乗り込み、日本で最も人気のあったボクサー、辰吉丈一郎に挑戦した。
第7ラウンドの途中で辰吉が右目尻をカットし、ドクターストップがかかる。試合続行不可能と判断されたこのWBCバンタム級タイトルマッチは、6ラウンドまでの採点で勝敗が決まった。
3-0で辰吉の勝利。
彼――ポーリー・アヤラは胸を掻き毟りながら、故郷(アメリカ、テキサス州ダラス)へと戻る。
その10カ月後、アヤラはWBAバンタム級王者のジョニー・タピアに挑む。両者共に、ファーストラウンドから最終ラウンドまで、まったくペースの落ちない激闘を繰り広げた。
“ペレア”制し、アヤラは新チャンピオンとなった。
私は同ファイトをリングサイドから目にしたが、鳥肌が立つほどハイレベルな闘いだった。アヤラの闘志のみならず、敗れたタピアの闘いぶりも美しかった。マーベラス・マービン・ハグラーは「BoxingはARTだ」と語ったが、これぞBoxingと呼べる最上級のファイトであった。
18年が経過した今も、感動が残っている。
試合後、アヤラは言った。「辰吉は偉大な選手。素晴らしい技量を持っていた。絶対に再戦したい。勝算はある。統一戦が組まれたらいいのに…。辰吉とやれるなら、喜んで日本に行くよ」
そんな爽やかさも、アヤラの魅力だった。
2004年に引退したアヤラが現在取り組んでいるのは、パーキンソン病患者への支援である。
「ご存知のようにモハメド・アリが苦しんだよね。フレディ・ローチ(パッキャオのトレーナー)や、テリー・ノリスも引退後にこの病に悩まされている。自分が出来ることをやろうと思ってさ」
引退後、50パウンド(22kg強)も太ってしまったと笑うアヤラは、来月47歳になる。彼のスピリッツは健在だ。
アヤラもまた、いい歳のとり方をしている。