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ムネリンが捕手! 独立リーグ・栃木で“元侍バッテリー”が実現!マウンドには西岡剛

田尻耕太郎スポーツライター
川崎宗則選手(写真は2019年、台湾・味全ドラゴンズ時代・筆者撮影)

 プロ野球独立リーグ「ルートインBCリーグ」の栃木ゴールデンブレーブスでプレーする川崎宗則内野手が、8日に行われた神奈川フューチャードリームス戦(宇都宮清原球場)で捕手を務めた。

 この試合には「1番ショート」でスタメン出場。2打席目までは空振り三振、投ゴロに倒れたが、五回の第3打席では四球を選んで出塁した。

 その直後、スコアは2-7で迎えた六回表の守備だった。途中からセカンドに回っていた川崎はプロテクターを装着し、マスクを被ってグラウンドへ。そして、マウンドには同じく栃木でプレーする西岡剛が上がった。

「野球の脚本家」川崎らしい言葉で喜び

2007年北京五輪予選時の写真。背番号52が川崎、背番号7が西岡。間にいるのは同じ内野手の宮本慎也
2007年北京五輪予選時の写真。背番号52が川崎、背番号7が西岡。間にいるのは同じ内野手の宮本慎也写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 かつてWBCで世界一の二遊間を組んだ西岡-川崎が、今度はバッテリーを組んだのだ。川崎のリードに導かれた西岡は遊ファウルフライ、見逃し三振、ライトフライと1回を16球で3者凡退に片づけた。

 試合後、川崎は自身の公式インスタグラムに写真やコメントを掲載。

「ついに、やりたかった扇の要のポジション。九人のメンバーの中で一人だけ、違う角度から野球を観る風景。サインを出して、覚悟を決めて、投手を引き出す。まさしく、野球の脚本家。想像力に感性、そして観察力。何と嗅覚まで、必要なんだと再確認。やはり、野球は、プラスだけではなく、マイナスも必要! プラスマイナスが揃ってバッテリーが完成。どれだけ、でかい(たくさんのライトの絵文字)を、作って、野手達を照らすことができるか。チェチェチェチェスト!」

 と、絵文字をちりばめながら、川崎らしく「覚悟を決めて」「野球の脚本家」といった表現も交えて“捕手デビュー”を振り返った。

メジャーやソフトバンク時代にも「捕手」の可能性はあった

ブルージェイズ時代にもこんな姿が
ブルージェイズ時代にもこんな姿が写真:ロイター/アフロ

 じつは、ソフトバンクホークス時代にも捕手を務める可能性はあった。

 メジャーリーグから復帰後の2017年6月10日の阪神戦だ。1-5の九回裏、ソフトバンクは控え捕手がいない状況で鶴岡慎也に代打を送った。仮に同点となればどうしていたのか。工藤公康監督は「決めてましたよ。メジャー帰りの方がね。(甲斐)拓也よりも俺の方が、肩が強いって言っていましたし、やったこともありますと彼の方から言ってきた」と明かしていた。

 さらに遡ること渡米1年目、シアトル・マリナーズ時代の5月に「第3捕手」に指名され、全体練習ではキャッチャー防具をフル装備してブルペンに向かい練習に励んだことがあった。

 それらを踏まえて「どこでも出来るのが野球選手。それが僕のポリシー」と語っていた川崎。今年6月に40歳を迎えたが、ムネリンはまだまだ元気いっぱいに野球をエンジョイしている。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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