注目! ドラフト/7 気になるあの選手 岸田行倫(大阪ガス)
野球小僧なんだよなぁ。
「幼稚園のころです」
と岸田が話し出す。すでに遊び半分ながら、野球を始めていた。
「松坂さん(大輔・現ソフトバンク)の横浜が春夏連覇した1998年のビデオを、よくみていたんです。何回も見たので、試合展開が全部わかるくらい。それ以来、甲子園で投げることが夢でした」
さらにいまも、寮が甲子園に近く、8時を過ぎると入場料が格安になることから、自転車をこいでたまに阪神戦を見に行くという。
甲子園で投げる夢がかなったのは、報徳学園3年時のセンバツだ。沖縄尚学との1回戦。1点をリードされていた5回途中に救援し、4回3分の1を1安打無失点。試合は0対1で敗れたが、最速145キロのまっすぐはひときわ目を引いた。
だが、本来は捕手。いや、さかのぼれば、報徳に入学してすぐには、内野手としてベンチに入っていた。捕手転向は、2年の秋だ。岸田はいう。
「それまではショートやピッチャーでした。ただ、新チームは捕手が手薄で、永田(裕治・前)監督が、"上のレベルでやりたいなら、捕手もいいぞ"と。イヤではなかったですね。最初は怖いもの知らずで、勝手にうまくいっていましたから」
最後の夏は甲子園未出場だったものの、強打と強肩で高校日本代表に選出。BFA U18選手権では、捕手に栗原陵矢(現ソフトバンク)もいたため、おもに一塁手として出場し、ヒットを量産している。そのとき実際に球を見、受けた高橋光成(現西武)、飯塚悟史(現DeNA)らがいまプロの舞台で投げていると、「当然、興味はありますね」。
ただ本人は当時、「レベル的にまだ自信がなかった」とプロ志望届は出していない。で2015年、大阪ガスに入社するわけだ。するとその年の日本選手権に、新人ながら正捕手として出場し、チームも準優勝を飾る。もっとも経験が必要とされる捕手に転向してわずか2年のことだから、まさに適材だったのだろう。それでも、と岸田。
「転向してすぐはうまくいっていましたが、経験や知識が増えるほど配球はむずかしいし、怖さもわかってきますね」
捕手は、やればやるほどおもしろい
たとえば、今季。都市対抗の近畿の最後の枠を争う三菱重工神戸・高砂戦で、同点に追いついた7回裏に浴びた手痛い一発は、いまも悔いが残る。
「ピッチャーは猿渡(眞之)さん。初球シュートがボールになり、次に要求した外のまっすぐが甘めに入ってホームランされたんです。初球がボールなら次はストレートを待つという打者心理を考えれば、別の方法があったかな……と。あるいは外のまっすぐを要求するなら、"低く、低く"と大きなジェスチャーをすべきでした」
これでチームは都市対抗出場を逃し、NTT西日本に補強された本大会でも、1球の怖さを知った。2点をリードした9回表、2死一、二塁から逆転3ランを浴びるのだ。岸田はそれを、ベンチで見届けた。
「ピッチャーはベテランの吉元(一彦)さん。早く終わりたいから、まっすぐでストライクを取りたいのはわかるんですが、そのまっすぐを狙われて……実際に僕がマスクをかぶったらわかりませんが、打者は一発狙いですし、客観的に見るとあそこは四球でもいいくらいじっくりいってもよかったかな、と。まだまだ経験不足ですが、捕手はピンチの場面でいかに客観視できるかですね。ほかに、バッテリー間のふだんのコミュニケーションも大切だと感じています」
入社当初は、社会人投手の制球と、変化球の精度に戸惑ったが、「徐々に慣れたいまは、力まずにしっかりとらえれば飛距離が出る、という手応えはあります」。もともと定評のあった肩も、捕ってから投げるのが「さらに速くなっている」と本人はいう。そして、こう続けるのだ。
「キャッチャーは、むずかしいけどおもしろい。去年の日本選手権、猿渡さんのノーヒット・ノーランをリードしたときなどは快感でした」
いまや日本プロ球界が待望する、強打の捕手候補だ。しかも右打ち。繰り返すが、捕手転向からわずか丸4年なのである。
きしだ・ゆきのり/1996.10.10生まれ/兵庫県出身/176cm80kg/捕手/右投右打/報徳学園高→大阪ガス