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えっ、亡親の「遺産」はもらわないのに「借金」は背負うの!?~「相続分の譲渡」の恐怖

竹内豊行政書士
「相続放棄」と「相続分の譲渡」の違いを知らないと怖い目にあうかもしれません。(写真:イメージマート)

栗田次郎さん(仮名・43歳)は、亡父・貫一さん(仮名・享年80歳)の四十九日の法要が終わったとき、兄・太郎さん(仮名・48歳)に「兄さんと義姉さんには、仕事で忙しいのに親父の介護を3年もしてくれて本当に感謝しているよ。だから俺は相続を放棄することにしたよ」と伝えました。太郎さんは「実際に、親父の介護で費用もかかったし、お前には悪いがそうしてもらうと助かるよ」と言いました。貫一さんは10年前に妻と離婚していたので、相続人は子である次郎さんと太郎さんの2人だけです。このように、貫一さんの相続財産は、全て長男・太郎さんが取得することで円満に話し合いが済んだのでした。

面倒な「相続放棄」の手続き

早速、次郎さんは家庭裁判所に「相続放棄」の手続きを始めました。しかし、被相続人(亡父・貫一さん)の生まれてから死亡するまでの一連の戸籍と相続人の戸籍を集めたり、申請書類を作成したりなど、想像以上に面倒で、手続をスタートしてから1カ月が経過しても申請に必要な戸籍はまだそろいませんでした。

兄から「相続分の譲渡」を勧められる

そんな時、太郎さんから電話が入りました。太郎さんは工務店を経営しているのですが、商売で入用があって、相続預貯金を至急払戻ししたいというのです。「相続放棄がまだ終わっていない」と伝えると「今日、速達で書類を送るから、それに署名して実印を押して、印鑑証明書と一緒に送り返してくれさえすればいいよ」と返事がきました。

すると翌日、太郎さんが言ったとおり、郵便が届き、中には「相続分譲渡証書」という書類が入っていました。その内容は、「自分(次郎さん)の相続分を兄・太郎さんに譲る」というものでした。そうすれば、結果的に、兄・太郎さんは全ての相続分を取得することになり、全ての相続財産を太郎さんが取得するというものでした。

次郎さんは、その書類にサインをして実印で押印し、用意してあった印鑑証明書を付けて直ぐに投函しました。次郎さんは「こんなに簡単に済むのなら初めから「相続分の譲渡」にしておけばよかった」と思いました。

突然届いた督促状

父・貫一さんが亡くなってから1年が経ったころ、次郎さんの自宅に貸金業者から突然「督促状」が届きました。まったく身に覚えがない次郎さんは「新手の詐欺に違いない」と捨てようとしましたが、気になったので封を開けてみることにしました。すると、「亡父・貫一さんが貸金業者から生前借りていた2千万円の内、次郎さんの法定相続分・2分の1に相当する額・1千万円を1カ月以内に支払え」という内容でした。

信じられない言葉

「そういえば、親父はギャンブルが好きだったよな。まさか金まで借りてのめり込んでいたとは・・・。いやまてよ、俺は『相続分の譲渡』をしたんだ。だから親父が残した借金を背負うことはないはずだ。貸金業者にそのことを言ってやろう!」と思いついた次郎さんは、さっそく督促状に書かれてある貸金業者に電話をしました。そして、自分は「相続分の譲渡」をしたのだから関係ないので、全ての遺産を取得した兄と話し合ってくれと伝えました。すると貸金業者の担当者から信じられない言葉が返ってきました。

「そちらさまがされたのは、家庭裁判所に手続をする『相続放棄』ではなく『相続分の譲渡』ですね。それでは債務は法定相続分をご負担いただくことになります。期日までにお支払いいただきますようお願いいたします」と言って取り付く島もなく電話を切られてしまいました。太郎さんに電話をしましたが、「遺産は商売に全部使ってしまったんだ。申し訳ないが勘弁してくれ」といって一方的に切られてしまいました。

果たして、貸金業者から告げられたとおり、次郎さんが行った「相続分の譲渡」では亡父が残した借金を背負わなくてはならないのでしょうか。

「相続分の譲渡」では「債務」を免れない

 相続分の譲渡とは、債権と債務とを包括した遺産全体に対する譲渡人の割合的な持分(=包括的持分)を移転することをいいます(民法905条)。

相続分の譲渡は相続人という地位の譲渡であるので、当事者間では債務も移転しますが、譲渡人は対外的に債務を免れません。このことに注意が必要です。

相続分の譲渡は、遺産分割より前であれば、有償・無償を問わず、また、口頭によるものでもかまいません。他の共同相続人に対する通知も必要ありません。ただし、後の紛争防止の観点から、一般に「相続分譲渡証書」といった文書により譲渡されます。

このように、相続分の譲渡は、あくまでも相続人の間の決めごとであって、被相続人の債権者には関係のないことなのです。

遺産がいらないのなら「相続放棄」にする

相続放棄では、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に被相続人の最後の住所地の家庭裁判所へ申述を行うことが必要です(民法915条)。申述には、被相続人の出生から死亡までの一連の戸籍と住民票除票、相続人の戸籍など必要書類を集めた上、申述書を作成し、被相続人の最後の住所地の家庭裁判所に提出しなければならないなど手間がかかります。しかし、相続放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなされますので(民法939条)、被相続人の一切の相続財産を引き継がない結果、万一、被相続人にマイナスの遺産があっても債務を引き継ぐことはありません。

相続財産がいらない場合は、プラスもマイナスの相続財産も放棄できる「相続放棄」を選択することをお勧めします。

行政書士

1965年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、西武百貨店入社。2001年行政書士登録。専門は遺言作成と相続手続。著書に『[穴埋め式]遺言書かんたん作成術』(日本実業出版社)『行政書士のための遺言・相続実務家養成講座』(税務経理協会)等。家族法は結婚、離婚、親子、相続、遺言など、個人と家族に係わる法律を対象としている。家族法を知れば人生の様々な場面で待ち受けている“落し穴”を回避できる。また、たとえ落ちてしまっても、深みにはまらずに這い上がることができる。この連載では実務経験や身近な話題を通して、“落し穴”に陥ることなく人生を乗り切る家族法の知識を、予防法務の観点に立って紹介する。

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