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スタートした『35歳の少女』、柴咲コウは「着ぐるみ」か!?

碓井広義メディア文化評論家
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

「なんとまあ、後味の悪い第1話なんだろう」と、思わず苦笑いしてしまいました。10日(土)に始まった、柴咲コウ主演『35歳の少女』(日本テレビ系)です。

タイトル通り、ヒロインは「35歳の少女」。いや、正確にいえば「35歳の体と10歳の心を持つ少女」ですね。

1995年、10歳の望美(鎌田英怜奈)は自転車に乗っていて事故に遭い、植物状態に陥りました。それから25年という歳月が流れ、なんと35歳の誕生日に意識が戻ります。しかも、その意識というか精神は10歳のままなのです。

そして、ここがこのドラマのキモになるのですが、25年の間に、望美(柴咲)の「家族」も「社会」も驚くべき変化を遂げていました。

特に家族。大好きだった父・進次(田中哲司)は、事故の後に母・多恵(鈴木保奈美)と離婚。現在は新たな妻・加奈(富田靖子)とそのこどもである達也(竜星涼)と暮しています。

可愛かった妹の愛美(橋本愛)は、ちょっとキツい感じの30代に。また優しくて明るかった母も、暗くて笑顔の乏しい女性になっています。それぞれの25年と、それぞれの現在。

母が父と妹に声をかけ、家族崩壊を隠した形で「退院祝い」が開かれます。小学校のクラスメイトだった広瀬結人(坂口健太郎)も、母に頼まれてやってきました。

結人は、小学校の先生をしていたのですが、生徒とも親たちともうまくいかず、辞めてしまったこと。今の世界は、25年前に小学生の望美が思い描いていたような「明るい未来」ではないこと。それらを一気にぶちまけてしまいます。

さらに望美は、「家族」がバラバラになってしまったことも知ることになります。望美にしてみれば突然の大きなショック。「そりゃ泣き出すよね」と、同情するしかありません。

本作と同じ遊川和彦さんの脚本で、昨年秋に放送された『同期のサクラ』(日テレ系)でも、主人公の10年におよぶ「昏睡状態」と、そこからの「目覚め」が描かれていました。とはいえ、サクラは大人の女性であり、10年の変化を受けとめることができました。

しかし、望美の「中身」はあくまでも10歳の女の子です。10歳の心と頭で、25年間に起きたことから、25年後の現在までを受けとめなくてはならない。これは結構ハードです。

まだ望美は知りませんが、両親の離婚も、妹のヤサグレ化も、25年前の事故に遠因があるようです。それを知ったら、望美がさらに傷つくことは明らかです。

というわけで、「後味の悪い第1話」という最初の印象に戻ります。現在のところ、見る側にとって母親も父親も妹も、あまりいい印象ではありません。

多少の救いは、結人が望美に向って、「初恋のひとだった」と25年を経て告白したことでしょうか。まあ、それを聞いているのは、あくまでも10歳の女の子なんですが。

さて、今後はどんな展開になるのか。体が回復したとして、その後はどうするのか。小学校4年生に「復学」する? いや、復学して、中学、高校と進むというのが、どうにもイメージできません。とはいえ、家の中に閉じこもっているだけでは前に進めません。

「見た目が35歳で中身は25年前の10歳児」というのは、いわば「異形の者」です。現在の10歳たちと横並びになることも、35歳たちの列に加わることも、かなり難しい。

もしかしたら、脚本の遊川さんをはじめとする制作陣は、この「異形の者」を介して、現代社会とそこに生きる私たちの「在り方」を捉え直そうとしているのかもしれません。望美の「困難」を通じて、25年の間に私たちが「失ってきたもの」「捨ててきたもの」「忘れているもの」に目を向けさせる、といった意図です。

それは構わないのですが、過去から来た10歳の少女に「媒介」の役割を背負わせるのは、かなり酷なことであり、物語として成立させるのはハードルの高い作業です。

なぜなら、当分は自分が「異形の者」であることも十分に理解できないし、自分の判断で動けることも限られているからです。受け身でいるしかないにもかかわらず、「受けとめるもの」の重さが半端じゃない。

このドラマのヒロインは「35歳の少女」ではありません。あくまでも「10歳の少女」です。25年後という「異世界」に、「異形の者」として放り込まれてしまった「10歳の少女」のお話なのです。

10歳が、何を、どこまで、感じとり、考えることができるのか。そして、それを不自然ではないように描けるのか。

柴咲コウさんは、乱暴な言い方をすれば「着ぐるみ」です。中には10歳の少女が潜んでいます。10歳の少女の感情を表現する生きた着ぐるみ。逆に言えば、この難しい役柄、柴咲さんくらいの力量がないと演じられません。

狙いがまだ見えない「奇抜な設定」であり、視聴者を篩(ふるい)にかけるかのような第1話でしたが、それもまた「遊川脚本」の特色ではあります。

望美にしてみれば、しばらくはしんどい状況が続きそうです。第1話を見て「週末の夜にはヘビーだな」と感じ、「次回からはパスかも」と判断した人も、少し間を置いてから、この異色作をチェックしてみるといいでしょう。制作陣の意図も、トライの成否も、きっと明らかになっているはずです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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