国葬される安倍元首相辞任の引き金、黒川東京高検検事長勤務延長問題の闇
桜を見る会疑惑とともに第二次安倍政権が終わるキッカケとなった、黒川弘務・東京高等検察庁検事長の勤務延長問題。
2020年2月7日で定年退官する予定だった黒川弘務氏について、半年後の8月7日まで続投させる人事を1月31日に閣議決定したため、国会が紛糾する事態となる。
森雅子法務大臣の答弁が二転三転したうえ、とってつけたかのような検察庁法の改正も強行しようとしたため、Twitter上で反対投稿が拡散するなど、世論から猛反発を受けることとなった。
すったもんだの末、政府は検察庁法の改正を断念する。さらに、その2日後である5月20日、週刊文春(電子版)で黒川氏がコロナ緊急事態宣言下にもかかわらず、朝日新聞、産経新聞の記者と賭けマージャンをやっていたと報じられた。翌日、黒川氏が辞表を提出したため、追及の手は止み、まるでなかったかのように忘れ去られてしまっている。
神戸学院大学の上脇博之教授は騒動の最中より、法務省や人事院および内閣法制局に対し、黒川検事長の勤務延長にかかる行政文書の開示請求を断続的におこなった。
しかし、出て来なくてはならない書類が開示されないため、大阪地方裁判所にふたつの不開示決定処分取消訴訟を提起し、現在、審理が進行中である。
被告国がハッキリとした主張をしてこないため、まだまだ未解明の部分が多いのだが、裁判のなかで、安倍政権による検察人事への介入によって混乱する法務省内部の様子が浮かび上がってきた。(肩書きはすべて当時のものを使用)
前代未聞だった安倍政権による検察人事介入
一般の役所では事務方のトップの役職は事務次官となるのだが、法務省だけは勝手が異なる。法務省の特別な機関である検察庁が実質的に法務省をのみ込んでいるような人事が行われていて、検事総長を頂点とする独特の組織形態となっている。法曹資格のある検事が法務省へ出向して事務次官になるのだが、序列は上から数えて5番目くらいの役職にすぎない。よく法務・検察と一体として語られるのはこういった内部の仕組みによるものである。
検察庁法においては、天皇陛下から認証を受ける検事総長や検事長の任命権は内閣にあると定められている。しかし、ときには政治家を捕まえることもある検察庁の人事へ政治が介入することに国民の目が厳しかったこともあり、人事不介入が暗黙の了解だった。
ここに手を突っ込んできたのが、第二次安倍政権。出来たばかりの内閣人事局を使い、官庁幹部の首をすげ替える恐怖政治を行っていたのだが、三権分立で裁判官に準じて政治や行政からの独立が認められている検察人事にまで容喙しはじめたのである。
官邸と検察庁の人事抗争勃発
すでに予兆はあった。2013年8月、政治的中立性が求められる内閣法制局長官人事において、次長からの内部昇格という慣例を破って集団的自衛権行使の憲法解釈変更に前向きな外務省出身者を起用。2017年1月には、日本弁護士連合会が推薦するリストから起用するという慣例があった最高裁判事にリスト外の人物を任命するなど、従来の政権では考えられない人事の強要を繰り返していた。
当時の新聞、テレビ、雑誌などの報道によると、次期検事総長として当時の検察庁の意中の人は林真琴名古屋高検検事長だった。一方、政権側はどうしても黒川弘務東京高検検事長を押し込みたい。ここで立ちはだかったのは定年問題だ。検察庁法では、検事総長の定年は65歳で、東京高検検事長など高等検察庁の検事長は63歳となっている。
当時の検事総長だった稲田伸夫氏が就任したのは2018年7月のこと。慣例である2年を務め上げると、東京高検検事長だった黒川氏は2020年2月に63歳を迎えるため、途中で退官となってしまう。
検察取材の第一人者である村山治氏の「安倍・菅政権VS.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)によると、官邸の意向を受けた法務省・辻裕教事務次官は、稲田検事総長に対し、早めに勇退して黒川氏を定年前に検事総長へ昇格させるよう説得したという。しかし、いったんは受け入れたかのようだった稲田氏は、本来考えていた人事が出来なくなることを嫌ったのか、居座ることを決意。辻事務次官は検察庁の先輩でもある検事総長の意向と、政治からの圧力の狭間で右往左往した挙げ句、禁断の手法を繰り出した。
検察庁法では63歳が定年だが、国家公務員法の第81条の3第1という条項を使って勤務延長が出来るというストーリーである。
法務省は解釈変更にあたると気づいていなかった?!
しかし、この決定は早々にほころびが明らかになる。
2020年2月10日の衆院予算委で、森雅子法相は、立憲民主党の山尾志桜里衆議院議員から「大臣の見解では、制度として検察官の定年延長が認められるようになったのはいつからですか?」と質問され、「制度としては当初からだと認識しております」と答弁。さらに「当初というのはいつですか?」との問いかけに、「国家公務員法が設けられたときと理解しております」と答弁した。
山尾議員はここで1981年の国会において人事院事務局の政府委員が「検察官には適用されない」と答弁していることを挙げ、森法相を追及。森氏は「議事録の詳細は知らない」と答える一方、「国家公務員法の規定が適用されるものと解している」と述べるにとどめた。
2月12日の衆院予算委においてもさらなる矛盾が露呈する。松尾恵美子総務局給与局長は、「人事院としましては、国家公務員法に定年制を導入した際は、……昭和56年4月28日の答弁のとおり、検察官については国家公務員法の勤務延長を含む定年制は、検察庁法により適用除外されていると理解していたものと認識しております」と、政府の閣議決定と相容れない答弁をしたのだ。
すると、安倍首相は2月13日の衆院本会議において、「当時、検察庁法で除外されると理解していたと承知している」と認めつつ、「今般、検察庁法の特例以外には国家公務員法が適用され、検察官の勤務延長に国家公務員法が適用されると解釈することとした」と突如、軌道を修正する。
「法律の解釈変更」をしたことに後付けしたとしか考えられない答弁をしたのだった。
そもそもなぜ、検察官には国家公務員法が適用できないという解釈がなされてきたのか。今回の訴訟の代理人である阪口徳雄弁護士は、
「検察庁法は国家公務員法の特別法という関係になります。そして検察官の勤務延長を個別に認めてしまうと、内閣がみずからの言うことを聞く検事だけを残すというような恣意的な人事を行う可能性が排除できず、そうなってはマズいという伝統的な考え方がありました。ですので、黒川氏の勤務延長の閣議決定は現場の検事たちにとっては青天の霹靂だったのです」
と話す。
情報公開請求で開示された「怪文書」
本当に法律解釈を変更したうえで閣議決定したのなら、その前に法務省が内閣法制局や人事院に相談しているはずではないか。また、閣議決定後に野党やマスコミから騒がれた際、官邸や法務省、人事院、法制局などで安倍答弁に合わせてつじつま合わせを協議する書類があるのではないかと、上脇博之教授が法務省、人事院、内閣法制局などに閣議決定前と閣議決定後にわけて、関連資料の情報公開請求したところ、閣議決定前に限り3通の書類が開示された。
これらの文書について阪口弁護士はこう語る。
「『勤務延長制度(国公法第81条の3)の検察官への適用について』という文書を見てもらうとわかりますが、いつ誰が作成したのか記載がありません。しかも国家公務員法の勤務延長規定は検事に適用できるという解釈を書いただけに過ぎず、反対の解釈をしてきた経過も記載せず、法務省内部の意思形成過程が一切明らかにならないもので、怪文書と言える代物でしょう」
2020年6月1日、上脇教授は閣議前の書類については、それを証明する文書と一体にして開示すべきであり、非開示となった閣議決定後については存在するはずであるとの第一次訴訟を提起した。
しかし、国側は3枚の文書について、「検察庁法、国家公務員法改正のための解釈のために作った文書だ」と閣議決定との直接の関連性を否定した。
また裁判において「誰がいつ作ったのか」と問いかけても一切答えようとしない。
上脇教授は別途、行政文書の開示請求をおこなう。不開示決定が出されたので、「閣議で勤務延長を決定するにあたり、検察庁法の解釈、解釈の変更を法務省内で協議などをした文書については公文書管理法4条において作成が義務づけられており、開示されないのはおかしい」として、2022年1月13日、第二次訴訟を提起している。
いつから文書で残さない国になったのか?
両方の裁判は進行中なのだが、重要な法解釈の変更がなされるなかで、法務省内にて、どのように議論されたのか、その意思形成過程をつづる書類が作られていなかった可能性は極めて高い。
なぜなのか。阪口弁護士はこう推測する。
「黒川氏の勤務延長は法務省が官邸にその希望を述べてきたので、安倍首相がその意向を尊重して勤務延長したという国会答弁がなされています。なので、内閣人事局と法務省担当部局が協議録などの文書を作ってしまえば、この勤務延長は安倍官邸が仕掛けたことがバレてしまうので、これはマズい。では、法務省内部で意思形成過程をつづり、解釈を変更したという文書を残しておけばよかったのですが、それもしなかった。その理由はハッキリとはわかりませんが、法務・検察のなかでもトップの人事は極めてデリケートな問題であり、このような無理筋な解釈変更を企てていることが内部で明らかになると、組織が内部分裂してしまうと考えた法務省の一部幹部が暴走したのかもしれません」
今回の黒川検事長勤務延長に関する裁判の原告であり、安倍政権下で起こった森友学園事件やアベノマスク調達事業などでも情報公開をめぐるさまざまな訴訟を通じて真相の究明にあたっている神戸学院大学の上脇博之教授は、
「既存の法律では黒川氏の勤務延長など無理な話でした。それを閣議決定でやってしまったと聞いたときは驚いたものです。こんなことをするなんて法治国家の体をなしていないと思い、開示請求に踏み切りました。法務省は内閣法制局と相談したとして、応接録のようなものを出してきていますが、本当に法律的な話をしたのか疑問です。内閣法制局がちゃんと機能していれば勤務延長はできないという回答になっているはずですから。
安倍政権以降、官邸主導の名のもと、根拠となる法律がないまま、物事を推し進めることが増えました。今回の国葬もそうですね。その経費を全額国費から支出することについての法的根拠がないのに、閣議決定だけで決めてしまった。
こういうことが起こらないよう、文書で残しておくことが義務づけられているのに、作っていなかったり、改ざんしたり、廃棄したりというようなことが横行するようになってしまっています。
政府は法的根拠をもとに施策を遂行する。そして意思形成過程を記録した文書をちゃんと残し、あとで検証できるようにしておく。知る権利という基本的人権が保証されてこそ民主主義国家なのですが、われわれはほど遠い地点にいるということだと思います」
と語る。
公文書は国民のもの。
いつの日か、こういった意識を誰しもが共有できるようになれるのだろうか。まだまだ険しい道のりが待っているように思えてならない。